【お題・お菓子掌編集】ふるーつ・ぐみ
6.恋心アマレット
『お題:チョコレート』

◆    ◆    ◆    ◆    ◆    ◆

 今日は朝から教室内が騒がしい。理由はわかっている。
 二月十四日、バレンタインデー。
 男女の愛の誓いの日とされ、女性が男性に愛の告白としてチョコレートを渡すという習慣である。これは日本独自のものであり、義理チョコ、友チョコや、男から女性に渡す逆チョコというものもある。
 まあ、この日のチョコはお互い仲良くしましょうという社交辞令でもあり、贈答品のようなものだ。
 くだらない。くだらなすぎる日だ。
 俺は起源がはっきりしない習慣にのる気なんてない。
 俺は勉学に打ちこむ高校生なのだから、他の奴に差をつけなければならない。みんな、うつつを抜かして成績ガタ落ちになってしまえ。一流大学にいくのは俺だ。
「あのさ、亮平」
 急に後ろから声をかけられて、俺は振り返った。
 見ると級友だ。こいつは日曜日にチョコを貰ったらしい。
 羨ま……いや、うつつを抜かして成績ガタ落ちになってしまえ。
「さっきから、なに言っているんだよ? 成績ガタ落ちとか……」
 ――今、何て言った?
 俺は級友に言われて慌てて平静を装った。
 危ない危ない。聞こえていたのか。
 俺の背後をとるあたり、こいつただ者じゃないな。以後、気をつけよう。
 怪訝そうな顔をする級友を無視して、俺は最近読みはじめた推理小説を出した。
 俺は推理小説が好きだ。プロファイリングや謀り合いがあると更にいうことなしだ。それに、科学捜査が絡んだものなら、薬品の勉強にもなる。教科書も大事だが、時には頭の回転を変えて、他のスキルも身につけなければならない。
 その時だった。物音とともに俺の机の上に箱が置かれた。顔をあげてみると、置いたのは級友だ。
 待て待て。この状況において、どう対応したらいいんだ。まずは冷静になろうか。
 まず中身を推理する。教室での品物の受け渡しは通常、許可されてはいない。それを今日、この場所で教師に見つかるかもしれないという危険を冒してまで渡してきた。
 つまりだ。今日渡さなければ意味がないもの――この箱、バレンタインチョコだよな。
 なぜ、お前が俺の席に置く? 動機は何だ?
「本命だから」
 俺は思わず仰け反ってしまった。
 言ってきた奴の目が本気だ。いや、お前も俺と同じように推理小説が好きだとは知っていたぞ。けれど、それは何か。趣味を共有するためのものだったのか!
 三人兄弟の次男である俺は、いつもバレンタインのチョコの数は兄貴と弟に負けている。
 兄貴はサッカー部のフォワード、県内の得点王にもなっている。弟は隣の幼馴染みから貰っている。
 兄貴にチョコの数は敵わない。せめて弟と並びたいとは思っていたが、お前が相手だとは――俺の理想の恋人リストに入っていなかったぞ。
 お前、チョコ貰ったはずだろう。俺が本命なら受け取らないはずだろう。ちょっと待て、推理思考が混乱してきたぞ。
「あいつが、そう言ってたよ」
 間を置いて、級友は教室の隅を指差した。
 なるほど、騙しのテクニックか。危うく、誘導尋問に引っかかるところだったな。
 お前には気がない。俺の本命は……とでも、言わせようとしたか。
 俺は級友が指差した方向を見た。視界に入ったのは、俺といつも成績上位争いをしている彼女だ。
 彼女――意識している場合ではないな。冷静になれ。今は、こいつに事情聴取しなければならない。
「今、本命って言ったよな」
「うん、そう言ってた」
「ならばなぜ俺に、直接手渡してこない?」
「恥ずかしいからじゃないか? あの子無口だし、女子の気持ちはよくわからないよ」
 俺の中で推理がつながった。
 つまりだ。彼女は黙秘を決めこんだわけだな。あるいは手を汚すのを嫌ったか。
「一緒に手紙も渡された。推理してって言われたんだけど、どういうことかな」
 言って級友が手紙の封を開く。
 俺に開けさせないのか。刑法百三十三条、信書開封罪だぞ。まあ、俺は温厚だから告訴しないが。
「これって……」
 級友が開いた手紙には、『当たりを選んで、一番先に食べてね』と書いてあった。
 なるほど、合点がいった。彼女は成績上位、俺と知恵比べをしようということか。
「面白い。探偵ものの極みは、犯人を落とすことと言ってもいいしな……」
 級友が目を細くしたのが気になったが、箱に手をかける。
 時計を見ると、残りの休憩時間は五分だ。
 なるほど、見つかれば担任に証拠を隠滅されてしまうわけだ。制限時間内に推理を終わらせなければ、迷宮入りになるというわけか。
 箱を慎重に開けると、丸いチョコレートが奇麗に整列していた。
「手作りのトリュフチョコって、はじめて見たかも」
 級友が何か言っているが無視だ。時間がないので推理を続けよう。
 箱は縦五列と横七列に仕分けされている。本来なら三十五個のチョコレートが入っているはずなのだか、なぜか空白も見える。
「入っているチョコレートの数は二十か」
 数を確認して、俺は推理を続けた。すると、箱の上部にNと書かれているのを見つけた。
「N? 誰かの名前かな」
 級友がちょっかいを出してくる。推理の邪魔はやめてほしいな助手のワトソンくん。気が散る。
「Nっていうと、うちのクラスじゃ誰かな」
 俺が推理をしているにもかかわらず、級友が推理を開始していた。
 この野郎、どちらが先に真相に辿り着くか勝負しようというわけか。
 更に中を見ると、端に板チョコが何枚か入っている。これは一体どういう意味だ?
「Nがクラスの人物なら、チョコの数が合わないなぁ……」
 級友の推理は続いている。そのまま深読みしすぎてくれ。俺には俺の解明ルートがある。
 縦五列と横七列で、入っているチョコレートの数は二十。
 おそらく、Nは本筋の解明にはならない。あくまで付属の要素だと睨む。
 俺は息をつくと彼女を見た。すると彼女は不敵に笑いながら、推理小説を開いた。
 それ、俺が読んでいた小説じゃないか?
 そこで俺は気がついた。
 俺が前に読んでいた作品は、学園内で起きた事件を解決するという高校生探偵ものだ。その中で犯人が、正体を暴いてみせろと主人公に勝負を挑む。
 内容は――
「仕切りの数は席だ。縦五列と横七列、うちのクラスの生徒数は三十五。二十は男子の数だ」
「じゃあNの意味は?」
「Nは名前ではなく方位だ。北ということだな。板チョコは窓だろう。Nを北に合わせると、チョコレートの位置が、男子の席位置と合致する」
 俺は時計を見た。残り時間一分。勝った。知恵比べにも級友にも――
 当たりはわかっている。俺の席位置のチョコだ。取り出すと、級友の視線が熱く注がれてきた。彼女も興味深そうにこちらを見ている。
 持つとすぐに溶けてしまいそうな軟らかいチョコだ。俺は口の中に放りこむと、舌の上で転がした。
 手作りにしてはよく出来ているな。彼女にこんな才能があったとは意外だ。
 そう思った瞬間だった。突然、アーモンドの香りが広がった。口内から鼻腔へ抜ける香りと、焼けるような舌の感覚。
 俺は焦った。これは間違いなくシアン化カリウムだ。通称、青酸カリ。
 彼女の親がメッキ工場で働いているという話を聞いたこともある。そこで使うのがシアン化カリウムだ。入手ルートはわかった。
 動機は何だ? 相手は俺に勝負を挑んできた者だ。成績は常に争っている。
 なるほど、動機は一位の座か。
 級友にチョコレートを渡させたのも計算、指紋を残さない計画性といい、奴は悪女だ。
 くそ、何て俺は浅はかなことをしてしまったんだ。飲み物に入っていたのなら、刺激臭に気づいたはずだ。それがチョコレートの中に入れられていたのだから、気づかないのも当然といえるが。
 なんとなく、意識が朦朧としてきた気がする。微量だが、飲みこんでしまったようだ。
 彼女に視線を向けると、笑いながら近づいてきた。このままやられてたまるか。
 その時だ。驚くべき展開が起きた。級友がチョコを口の中に入れたのだ。
「お前……共犯だったのか」
 俺の声に反応して、級友が目を丸くする。とぼける気なのか。推理合戦をしたのも俺を信用させるための伏線なのか。
 彼女は俺の前に立つと箱の中身を確認した。当たりを食べたのか確認しているのだ。
 そして、彼女は板チョコを口に入れると、満足そうに噛み砕いた。
 誘惑的に動いた指先が、勝利を確信したかのようで腹が立つ。俺はここで死ぬのか。
 絶望という文字がかすんだ瞬間、彼女が口を開いた。
「さすが亮平くん。勝てると思ったのになぁ……」
 俺は耳を疑った。何を言っているんだ。敗北したのは俺だ。
 次に級友が口を開く。
「美味しいよ。アーモンドの香りがアクセントになっているね」
「でしょ? お父さんが買ったリキュールなの……アマレット! 癖になるととまらないって言っていたんだから。私たちは未成年だから、隠し味に入れることしか出来ないけどね」
 被疑者二人の話を聞いて、俺は大きく目を見開いた。
 毒物じゃないだと! 俺に恥をかかせることまで計算していた訳か。
 くだらない……くだらなすぎるぞ。バレンタインデー。
 笑った彼女が俺を見る。身をくねらせ、頬を赤らめているのは勝利の小踊りのつもりか。
「やっぱり私、亮平くんのことすごいって思う。これからも仲良くしてね」
 席に戻る彼女を見ながら俺は立ちあがる。休憩時間終了の鐘が鳴ると同時に、級友が俺の肩を叩いてきた。
「良かったな、いい子で。応援するよ」
 自席に戻る級友の背中を見送って、俺も席に座る。
 奴の言った意味がよくわからないな。俺はとにかく勉学に励もう。
 教師が入ってくると起立の号令がかかる。礼と着席を終えると、教師が笑顔で言った。
「今日はバレンタインだな。もしかしてお前等、渡されてないよな」
 すると、クラス一馬鹿な奴が手を挙げて叫んだ。
「先生、亮平が貰っていました!」
 同時にクラス全員の視線が俺に向けられる。
 何が言いたい? 俺は推理合戦をしていただけだ。
 息を吐いて彼女を見ると、顔を紅潮させて伏せる彼女の姿が見えた。
 何だ? 今の彼女の行動は……少し推理してみるか。
 だが、思うことは一つだな。
 みんな、うつつを抜かして成績ガタ落ちになってしまえ。
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