そして奏でる恋の歌~音楽家と騎士のお話~
そう告げるとシャディアはその場に胡坐で座り、弦に指を乗せて緊張を解すように一本ずつ弾いていく。これはまだ彼女の言う歌ではない、そう感じた一同は音が整うまで静かにそれを見守った。

大丈夫、出来る。

胸の内で唱えてシャディアは本来のその音を出すべく身にまとう空気も顔つきも変えた。5本の弦を2つ並ぶこの見事な和音が今まで聞いたことのない奥行きのある音を奏で始める。

まずは一曲と言ったがこの最初の一曲ですべてが決まると言っても過言ではない。シャディアは目を細めると静かに口を開きその歌声を音に乗せた。身体が痺れるような透き通る声に3人の目が大きく開く。

高音を弾く弦と低音を極めた音がどういう仕組みか何十音にもなって聞こえてくるのだ。音の良し悪しよりもまずその技術に驚いたのはイザークだけではなかっただろう。たった1つの楽器からここまでの音が出されるなんて信じられなかった。

加えて魅了をするのはシャディアの歌声だ。高い音でも難なく発せられる声は頭の先から通り過ぎたかと思えば全身にしみる様に振ってくる。奇妙で、それでいて心地よさも感じる不思議な感覚に鳥肌が立った。

指先で肌を掠めるように触れてきたかと思えば、しっかりと手を繋いで音の先まで連れていく、手を離されたかと思えば隣に寄り添っている。シャディアの音楽は3人をその世界にすっかり引きこんでしまった。

ただただ圧倒されて驚くばかりのイザークだったが他の2人の反応が気になり盗み見る。やはりトワイはイザークと同じ様に圧倒されると言った反応を見せているが、エリアスは違った。目を細めて見抜くようにシャディアの姿をその目に焼き付ける。

手の内を見られないようにする為か、組まれた腕は口元に置かれて隠すような形になっていた。時間にして数分も経っていないだろうか、やがて音は少しずつ折りたたんでいくように小さくなっていく。演奏を終えたシャディアはやりきった思いからか、静かに息を吐いた。

「見事だ。」

部屋の中の空気を変える声が響けば、エリアスが手を叩いて称賛する音を出す。確かにその言葉に尽きるものだった。トワイもイザークもエリアスの後を追う様に拍手を重ねる。本当に見事だったとイザークは何度も小さく頷いていた。

「単刀直入に聞くが…シャディアどの。」
「はい。」
「それは空翔る音楽か。」
「…ご存じで。」
「当たり前だ、これでも王族だからな。」
「し、失礼しました。」

エリアスとシャディアが互いに認識をもって会話をしているが、イザークとトワイにはまだ分からないようで二人は顔を合わせた。しかし何か頭の中に引っかかることがある、おそらく聞いたことはあってすぐには思い出せないのだと二人は懸命に自分の記憶を掘り起こした。

「その楽器が本物でシャディアどのの音も確かなものだとすると…君は宮廷音楽の継承者。リリーの一族だな。」
「リリーの一族、聞いたことがあります。確か王族が神聖なる儀式を行う際に必要とされる音を奏でた唯一の音の民だとか。」

トワイの言葉をきっかけに全員の視線がシャディアに集まってくる。注目の的となったシャディアは大きく息を吸って胸を張り背筋を伸ばした。その堂々たる姿は凛として美しい。さっきまでの音楽の神秘性も合わさって今までとは待っとく別人のように見えた。

「リリーの一族…。」

イザークの声にシャディアは視線を送って応える。微かに笑みを浮かべたその表情はどこか申し訳なさそうに揺れた。

「シャディアどの…聞きにくいが、リリーの一族の村は…数年前に全滅したと聞いたが。」

エリアスの言葉に息を飲んだのはイザークだけではなかった。これまでのシャディアの言葉を瞬時に思い出したイザークはシャディアの表情を窺う。確か彼女はこう言っていた、村は襲われたのだと。両親も亡くしたのだと。

「はい。元々…小さな集落でしたので…呆気なく。」
「…気の毒だった。我らで村の警備を強化していればと悔やんで仕方がない。」
「本当にそうでしょうか?」
「シャディア!?」

エリアスの慰めの言葉を跳ね返すシャディアにイザークは思わず声を上げる。シャディアの目はその言葉と同様に鋭さをもってエリアスに挑んでいた。

「シャディア、何を…。」
「本当にそう思ってくださっているのでしょうか、と申しました。」
「…ほう。」

腹の中で抱えていたものがつい出てしまった程度では済まされない。シャディアは改めてエリアスの言葉を突き返したのだ。シャディアの様子にトワイの態度も構えるようにして変わった。しかしシャディアは一切気にならなかったのだ。

「村は呆気なく滅ぼされました、殆どの者が死にました。でも城からは誰も助けに来てくれなかった、気にもしてくれなかった!」
「シャディア。」
「私たちの音を利用するだけでもう用済みということですか!?あの襲ってきた賊は貴方方が差し向けた者たちなのですか!?」

シャディアの顔が憎しみに歪んで唇をかんだ。全てを知っているのかどうかは分からないが、どれだけシャディアが声を荒げてもエリアスは一切顔色を変えない。その事が余計にシャディアを惨めにするような気がして身体に力が入った。

「襲ってきた奴らが言っていました。…少ない方が希少価値が上がると。私は…お祖母ちゃんが逃がしてくれたからここにいるけど!あのまま連れ去られた人だっている!」

シャディアが見たのは遠い場所からだったが鮮明に覚えている。悲痛の叫び声、泣き声、物が崩れていく音、連れ去られていく人の姿。今まで感じたことのない強い力で祖母が自分を抱きしめて必死に物陰に隠れていた。見つからないように、叫ぶシャディアの口を押えて懸命に守ってくれた。

それでも目を塞がれなかったからしっかりとその目に焼き付けたのだ。あの日の出来事を、村を襲ったやつらの姿を。

「騎士団の紋章を付けた人が村のみんなを殺していくのを見たんです!貴方たち王族は!一体何の恨みがあって私たちを殺そうとしたのよ!!」

シャディアの悲痛に満ちた叫び声はその場にいた者の身体の自由を奪った。怒りで震える手が必死にドーラを抱えている。家族同然の様に扱っていた楽器が彼女の強い力で軋んでいた。

きっとその音は今のシャディアには届いていないだろう。最初にドーラを紹介した時の彼女とは全く違う姿にイザークの胸が痛む。息が荒く言葉はそれ以上続きそうにない。しかしシャディアは歯を食いしばったままエリアスを睨み続けていた。

感情が高まりすぎて言葉にならないのだと誰もが理解したのだ。やがてエリアスは立ち上がると数歩進んでシャディアとの距離を縮めた。

「…シャディアどの、まずはリリーの村を守りきれなかったこと。そして一族の皆に起きた悲劇に手を差しのべられなかったことを詫びたい。…申し訳なかった。」

目を少し伏せる程度だったが、エリアスは確かに王族として謝罪をした。

「殿下!」
「構わない…きっと父上も同じことをなさるだろう。それ程までに悔やんでいらした。私たち子供を全員集めて、リリーの一族に向けて祈りを捧げたのだ。感謝と安らかな眠りを願って。」

いつかの記憶を思い出しているのかエリアスの目が遠くを見つめているのが分かる。そして表情を歪めればきつく目を閉じた。

「…っ。」

エリアスの姿に打たれたのかシャディア怒りの色を戸惑いに変える。そして言い表しようのない感情を身体中に巡らせても決して涙を流そうとはしなかった。

「…シャディア。」

イザークの寄り添う声が聞こえる。それでもシャディアは必死に歯を食いしばって目を潤ませても絶対に涙をこぼすことは無かったのだ。

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