Verbal Promise(口約束)~プロポーズは突然に~
 社長に連れられてきたのは自分が働くフロアの一室で、おもに会議や打ち合わせで使われている小さな部屋だった。

「たいした話じゃないよ。緊張しないで」
「はい……」
「ただお礼を言いたかったんだ。ありがとう、来てくれて。助かってるよ」
「いえ」
「この部署は本社の中でも一番慌ただしい部署で特に女性の入れ替わりが激しくてね。新たに人材を雇っても仕事を覚えるころには辞めてしまって……分からなくもないけどさ。忙しくてイライラしたおじさんばっかでむさくるしいもんね、はははっ」
「そんなこと……」
「川島さんは、あの男性でもきつい超ハードな旅行スケジュールにも何食わぬ顔してついてきて、しかも女性一人なのに物怖じせずすっかり場に溶け込んでて……」

 室長が話していた通りだ。社長は旅行中の私の態度や行動を見て、今の職場に合うと思って私を本社へ呼んだらしい。

「一か月経ったけどどう? 少しは慣れたかな?」
「はい」

 女性の入れ替わりが激しい部署へ、私はここでもやっていけると見込んで呼んだということ。……余計に、辞めますなんて言えなくなってしまった。

「頑張ってね、期待しているよ」

 終始ニコニコと穏やかな表情の社長。緊張も最初だけで、次第に和む。社長は窓の外を眺めながら「残暑が厳しい毎日が続くね~」と言った。そしてそのまま世間話に入る。

「川島さんってたしか二人姉妹の妹だったよね」
「はい、そうです。よく覚えてますね」

 旅行中に社長とは色々と会話を交わした。私の話を覚えていてくれているなんて……少し嬉しかった。

「二番目なのにしっかりしてるなって思って。うちも息子が二人いるんだけど下の息子はどうにも……ネジが一本抜けているというか。性格はとてもいい子なんだけど頼りない。もうすぐ30にもなるのに」
「あ、私と同い年ですね」
「そうなんだよ。……ところで、川島さんって彼氏いないって言ってたよね?」
「はい……?」

 当時はいなかったけど今は……
 正直に答えるべきところなのか悩んで返答に困っていると、部屋の扉が開いた。

「あ、社長。用事ってなに?」

 部屋に入ってきたのは一人の男性社員。そして真っ先に感じる違和感。社長に対してタメ口……?
 社長は男性の登場ににっこりとほほ笑むと「川島さん」と言って私の肩にポンと軽く手を乗せた。

「息子の、秀則(ひでのり)だよ」
「……はぁ」
「今話してた、次男坊」
「……はい」

 正しいリアクションも返答も分からない。
 突然、なんなのだろう。

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