妖しく溺れ、愛を乞え

 ◇

 あたしが早退して帰って来たのは昼だった。出かけるわけには行かなかったから、冷蔵庫にあるもので食事を作った。彼が戻ったら食べられるように。

 夕陽が窓から差し込んでも、太陽が沈んだ空に星が光りだしても、深雪は戻らなかった。

 料理はタッパーに入れて、冷凍と冷蔵に分けて保存した。帰って来たら、ふたりで食べられるように。

 次の日はいつものように出勤して、仕事をし、マンションへ帰った。きっと帰って来ていると思ったけれど、部屋は静かだった。誰かが入った形跡も無い。

 次の日も、その次の日も、深雪は帰って来なかった。連絡も無い。

 帰って来ない。居なくなった。静まり返った部屋。あたしだけしか存在しない部屋。ふたりで居たのに。ご飯を食べたり、笑ったり。ふたりだったのに。

「どうして?」

 荷物はそのままで、居なくなるなんて。思い出はそっくりそのまま置いていくなんて。

 深雪と出会って、どれくらい? 一緒に暮らして、まだ季節を跨いでいないのに。

 会社から存在を消し、みんなの記憶を消したなら、どうしてあたしの思い出も消して行かなかったの? どうして?
 あたしが帰って来なかったら、誰かに拾われたらって……。自分が居なくなるなんて。

「酷いよ……ずるい」

 数日経って、居なくなったんだって実感する。だって、どこにも居ないんだもの。キッチンにもバスルームにも、クローゼットを探したって居なかった。近所のスーパーにもカフェにも、レンタルビデオショップにも居なかった。

 探したのに。会社から帰って来てから、探しに行ったのに。

「みゆきぃ……」

< 121 / 154 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop