妖しく溺れ、愛を乞え

 制服へと着替えを済ませて事務所に入ると、課長と支店長がなにやら神妙な顔をして話をしているのに気付いた。

 どうしたんだろう。なにかあったのかしら。

「おはよう、春岡さん。今日は慌ただしくなりそうねぇ」

 もうひとりの女性事務員、先輩の初乃さんがお茶を持って来てくれた。紅茶好きの初乃さん。今日はなにを煎れてくれたんだろう。

「ありがとうございます。わぁ良い香り」

「昨日、新しいルイボス出てたからさぁ」

 うん、良い香り。体が温まって、心がほぐれる。もうすぐ夏だし、水出しも良さそうだなぁ。
 マグを置き、初乃さんの方に向き直った。

「どうしたんですか? 支店長たちは難しい顔してるし。今日は慌ただしくなるって……」

「あら、先週通達が来たじゃない。本店から工事部長たちが現調に来るって」

「……え!?」

 そう、だっけ? あたしはデスクのメモやカレンダーを見た。メモった形跡が無い。

「そう……でしたっけ。ああ、そうだ。新幹線の時間は、えーと」

 昨日も一昨日も、誰もなにも言っていなかったじゃない。どういうこと?

 それにしても、通達が来ているならば、到着時間もどこかにメモしているのかもしれない。あたしは忘れたと思われたくなくて、うっかり失念したけれど、覚えてますよ~という感じをかもし出した。

「やーだ。忘れちゃったんじゃないのー?」

「休みに脳みそもオフになってました。えへへ」

 ウフフと笑って、初乃さんはデスクへ戻った。


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