イジワル上司と秘密恋愛

——綾部さんが、笑ってくれた。綾部さんが、声をかけてくれた。


たったそれだけのことが、涙が出るほど嬉しい。

もう一生お喋りなんか出来ないかもしれないと思った。もう笑い掛けてもらえることなんか、きっとずっとないかもって。

嫌われて呆れられてるに違いないって思っていたのに。

あきらめて多忙な日々で掻き消そうとしていた恋心が、一瞬で蘇る。私はこんなに綾部さんが好きだったんだって、改めて思い知る。

たかが社交辞令かもしれない。上司と部下としてのなんの変哲もない台詞だとしても、それでも。


「綾部さん……」

——大好きです、綾部さん。私、あなたを追いかけてここまで来ました。


想いが溢れすぎて声にならなくて、私は言葉を紡げないままただ綾部さんを見上げ続けた。

けれど、逢瀬の機会は短く、エレベーターはあっさりと五階に着き無情にも扉を開く。

綾部さんはもう一度私に向かって微笑みかけるとエレベーターから降りていき、先に廊下を歩いていってしまった。

私も五階で降りなくちゃならないのに、どうしてもまだこの余韻に浸っていたくて。

胸の高まりを両手で抑えながら、少しだけ止まったままのエレベーターに佇み続けた。

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