ベナレスからの手紙

ベナレスからの手紙ー2

京都の地蔵盆とよく似た子供たちの祭りです。テントの中にヒンズー
の神を祭ってその前にござを敷いて子供たちで遊ぶのです。じっと見
とれていたら僕の脇にとても美しい少女が立っていました。黒髪で
とても瞳が大きくびっくりしました。杏子さんにそっくりでした。

皆と遊ばないの?と目で示したら、アチャとか言って可愛く首をかし
げるのです。お母さんらしき人が出てきました。インドサリーの良く
似合う若いお母さんです。中に入れと手招きしています。少女は
僕の手を急につかんで引っ張りました。お母さんもにっこり笑って
アチャと首をかしげています。

ナマステと言って中には入るとベッドにおじいさんが横たわってい
ました。枕もとでおばあさんが編み物をしています。ナマステと
あいさつしたらにっこり笑ってナマステと言ってくれました。

あまり調度品もなく閑散とした部屋に大きなテーブルが一つあって
少女が椅子に座れと合図します。座ると同じように横にちょこんと
腰かけて何かが出てくるのを嬉しそうに待っています。やはり、
チャイ(ミルクティー)とお菓子が出てきました。

お茶の時間だったのです。お母さんの話ではもうこの1年ベナレス
にいるそうです。お父さんは遠くの町で働いていて月に1度は
ベナレスに来るそうです。お金はかからないからこの先何年でも
おじいさんが亡くなるまでここにいるそうです。ごく当然のように
本人も家族もそれが一番幸せなのだと言ってました。

ガンガには不思議に人の心を癒す魅力があります。ヒマラヤから
大自然の懐に抱かれて母なるガンガでは安らかに死を迎えること
ができる、ベナレスはそんな聖地でした。ヨーロッパから中近東
インドと一気に南下してもうお金が無くなりました。北欧で1年
働いてあと北米周りで帰ります。その頃には学園紛争も落ち着い
ていることでしょう。

可愛らしい杏子先生が目に浮かびます。頑張ってください。

1970年12月7日          インド ベナレスにて

柴山杏子様                 若林 治     」

あの後大変だった。長距離バスと国際列車を乗り継いでやっとの思いで
ミュンヘンに着いた。再びアルバイト三昧。北欧で買ったばかりの車が
すぐつぶれてみたり。不法就労でつかまりかけたり。チュニジア娘に
追いかけられたりしてあっという間に2年が過ぎて結局北米には行けずに
格安チケットでかろうじて帰国できた。この間はめまぐるしくて杏子
どころか日本のことも全く心になかった。
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