ベナレスからの手紙

最後の封筒(最終回)

涙も拭かずに治は最後の封筒を手にした。
杏子の父親の字で次のように書かれていた。

「若林治さん、杏子はもう字が書けなくなりました。血液のガンと骨のガン
とが体全体に転移して入院の時医者は1ヶ月と宣告しましたが本人にはよう
告げませんでした。杏子は若林さんからの手紙を信じて3か月間生き通して
くれました。

手紙を受け取った後幸い脳と神経が先に侵されて痛みは和らぎました。
柔和な笑みがよみがえり1日の大半は意識不明で眠っているみたいでした。
意識が戻ると何度も繰り返しあなたの手紙を読んであげました。

時々ふと目を覚まして若林さんの名を呼びました。手にはしっかりとあなた
の手紙を握りしめて七日後に娘は笑みを浮かべて亡くなりました。本当に
ありがとうございました。

私も家内も直接被爆はしておりませんが直後に広島入りして二人で親戚を
探し回り、そのまま流川に住み着きました。二次被曝と言うことで健康には
十分気を付けていたのですが、残念です。

もしこの手紙と日記を見る機会がありましたら、そのあとで娘の墓を
そっと参ってやってください。よろしくお願いいたします。

1970年12月20日
                     杏子の父 柴山清三郎    
若林治様                               」

封筒の中にお寺の地図も入っていた。時のたつのも忘れ一睡もせずに夜が明けた。
早めにそっと家を出る。広電宮島から幟町へと向かった。

若林治は再びきのうの杏子の墓の前に立った。とめどなく涙があふれ出てくる。
線香に火をつけて仏花を差し厳粛に手を合わせた。

「今なら言える。心の底から言える。お前が好きだった」

治は長い祈りの後、ゆっくりと立ち上がって墓石に水をかけていった。
手桶の水が亡くなるとまた水を汲みに行ってまたゆっくりと水をかける。
墓石にやさしく語りかけながら流れる涙をぬぐおうともせずに、治は
何度もそれを繰り返した。

寒い冬空の淡い光の中で一人の老人が木陰からずっとそれを眺めつづけていた。

                        ーーーーーーー完ーーーーー
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