優しい歌 ※.。第二楽章 不定期亀更新

3.真人くんと言う存在 - 穂乃香 -

リサイタルを兼ねて日本に帰国していたパパが、
また向こうへと戻ったのは
5月の中旬に差し掛かる頃。


「穂乃香、悩み事があったら
すぐにパパに連絡してくるんだよ。
パパが動けないときは、紫や彩紫たちが力になってくれる。
パパの友達を頼るんだよ」

そう言ってパパはウィーンへと旅立った。


そして私の家には悧羅学院に編入を決めた咲夜が、
本格的に同居を始めた。


新しい生活が始まったのに、
私はなかなか踏み出せずにいた。




ピアノコンクール地区大会。



浩樹と私は秋の大会への出場切符を手に入れたけど、
ALSと言う病気を抱えていた瞳矢は
切符を手にすることは出来なかった。


あんなに近くにいたのに、
私は瞳矢が苦しんでることの重大さに気が付けなかった。


多分、腱鞘炎になったのかなーって
それくらいの気持ちで、何気なく瞳矢にかけた言葉で
どれだけ瞳矢を傷つけたかもわからない。



そんな私がグランドファイナルに出場してもいいんだろうか。


浩樹も最初は悩んでたけど、
今は全国大会の出場を決めたみたいだった。


パパに相談したときは

「穂乃香の好きにしなさい。
コンクールは今年しかないわけじゃないからね」って、

まっすぐに私の瞳を捉えながら柔らかに告げられた。


自分でゆっくり決めよう。

そう思いながらも、
なかなか答えが見つからない。


自分の部屋にある相棒のビアノを前にしても、
私はなかなか鍵盤に触れられなかった。



真っ白いスタインウェイのグランドピアノ。


ゆっくりと蓋をあけて鍵盤を見つめる。


そっと手をのせて鍵盤に指を走らせようとするけれど、
心が邪魔をして動かすことが出来なかった。




「穂乃香、いい?」


ドアの向こうから、咲夜の声が聞こえた。


「あっ、良くてよ」


中から声をかけると、
すぐに咲夜は私の部屋へと入ってきた。



「グランドファイナルどの楽譜にする?

俺も今、選曲中なんだけど、
良かったら一緒に楽譜見てみないか?」


そう言って大量の楽譜を抱えてピアノ傍へと置いた。

ラフマニノフ・ベートーヴェン・シューマン・ショパン。
有名な作曲家たちの楽譜が目の前に並べられる。

そんな楽譜の中で私の視線が捉えたのはショパン。

瞳矢がグランドファイナルに出たのなら、
ショパンを軽やかに演奏したんだろうなーなんて想像しながら。


「穂乃香、
一度くらいあれからピアノ触ったの?」



そう問いかける咲夜の言葉に私は何も言い返せない。


あの日から鍵盤が触れないんだから。



「楽譜、有難う。
また見ておくわ。

今日は学校の宿題が多すぎて時間がないの。

ほらっ、春で新入生も入って来たでしょ。
春休み前からGWまでは予選に集中したくて、
ずっと部活をお休みさせて頂いていたけど、
テニスの部の主将としての役割もあるから。

こう見えても、私、忙しいんだから」


わざと明るくそう言い返して私は咲夜に背を向けた。


「邪魔したな」


そういって咲夜が静かに部屋の外に出ていくのを感じた。


咲夜が出て行った足跡を聞き届けて、
私はゆっくりと半開きのドアの方へと歩いて静かにしめる。



そして携帯電話を見つめた。


液晶に映し出すのは、
瞳矢の電話番号。


だけど私は瞳矢に電話をすることも出来なかった。
どんな顔して会えばいいのかわからない。


逃げるように、
学園生活に重きを置いて過ごしていた。






そして翌日もいつもの朝が始まる。


「ごきげんよう。
 穂乃香」

「ごきげんよう。
 穂積」



聖フローシア学院の門の前で親友の穂積と出会った私は、
お互いに挨拶を交わして校内へと歩いていく。


「でも、なんか穂乃香の家に、
男の子が一緒に同居してるなんてびっくりだわ」


そう切り出した穂積の言葉に、
思わず視線を周囲に向けてしまう。


「もう、穂積ったら人聞きが悪い言い方しないでよ。
シスターに誤解されたらどうするのよ?」


思わず声を荒げる私に、
近くにいたシスターの視線が向けられる。


「伊集院さん、私たちがどうかしましたか?」

「いえ。お手間をとらせ申し訳ありませんがなんでもありません」

「そうですか。
それでは、心静かに教室内へ」

「失礼いたします」


一礼をするとそのまま私は教室へと向かう。


一日の授業を終えた放課後、
久しぶりにテニス部へと顔を出した。



「ごきげんよう。
穂乃香先輩、ピアノコンクールお疲れ様でした」

「ごきげんよう」

久しぶりのユニフォームに袖を通して、
ラケットを片手にコートを走り回る。


「穂乃香、
初日からとばしすぎないのよー」

「えぇ。心得てますわ。
でも久しぶりに体を動かせるのって気持ちいんですもの」


穂積へと切り返した自分の言葉に、
ショックを覚えたように私はその場に立ち尽くしてしまう。


テニスボールは、
立ち尽くした私の横をすり抜けた。
 


「穂乃香、どうかしたの?」

「いえっ。大丈夫よ。
もう一本、お願いするわ」


声を出して穂積へと伝えると、
穂積は、ボレー、ボレー、スマッシュと決めやすいように
三球を私の前へと打ち続けてくれた。


狙いを定めて順番に三球を打ち返しながらも、
私の頭の中は瞳矢のことでいっぱいだった。


「穂乃香、上の空ならコートを出なさい」


穂積の言葉に私は一礼して、
静かにコートを後にした。

部活動をただコートの傍で眺めながら、
球拾いを手伝った。

久しぶりの部活が終わった後、
聖フローシアの門を後にした私を穂積は捕まえる。


「穂乃香、何かあったのよね。
少し話してみなさいよ。

私が聞くだけでも、
心が軽くなるかもしれないわよ」


そう言って穂積は私を、
喫茶店の中へと連れて入った。


喫茶店で紅茶とケーキを食べながら、
私は久しぶりに穂積との時間を楽しんだ。


ピアノコンクールの練習の関係で、
部活になかなか顔を出せなかった時間の、
私たちの出来事を……。


彼氏である瞳矢がALSと言う病気を発症したこと。

そして今は、瞳矢の親友だと言う、
真人くんが一緒に生活をして支えているということ。


本当だったら彼女である私が支えたいって思っていたのに、
いきなり現れた親友を名乗る彼が、
そのポジションについてしまったから、
私がどうしていいかわからなくなっていること。


もやもやしてたその感情が何かわからないまま過ごしていたけど、
穂積との会話の中でその感情が、
嫉妬とかやきもちに近い感情だと気が付いて私は溜息を吐き出した。



認めたくない感情。


だけど……
それは確かに私の中にある感情だから。



「ねぇ、穂乃香。
 
だけど……、
穂乃香の感情って別に普通じゃない?
恥ずかしい感情でもなんでもないよ。

それに瞳矢くんとの関係も、
まだ終わったわけじゃないでしょ?

親友と彼女じゃ、
出来ることも違ってくるんじゃない。

穂乃香は穂乃香らしく、
瞳矢くんを支えてあげればいいと思うよ」
 


私は私らしく瞳矢を支える。

穂積の言葉は簡単そうに聞こえて凄く難しい。

だけど当たり前の声で
私は自分の心の中を整頓していくように、
一口、また一口と紅茶を飲みほした。


30分くらい、穂積とお茶をしていると、
私の携帯に着信が入る。


穂積に断わりをいれて携帯を開くと、
向こうから、咲夜の声が聞こえた。


「今どこ?」

「学院の近くの喫茶店よ。
友達の穂積といるの」

「今、フローシアの最寄り駅にいるんだけど」

「えっ?どうして?」

「檜野の家、様子見に行きたいんだけど、
 お前もどう?って思ってさ」

「あっ、うん。
 行く……」

「なら、駅で待ってるよ」


電話を手短に終わらせて、
私は穂積へと、同居人の咲夜が最寄り駅まで来ていること。

そして今から瞳矢の家へと向かいたいことを伝える。


すると穂積はお茶会を中断させて
私にあわせるように喫茶店を後にする。


最寄駅まで二人で向かうと、
咲夜は悧羅の燕尾服を着こなしたまま、
私の方に軽く手を挙げた。


「咲夜、私の親友の穂積よ。
穂積、こちら私の幼馴染にも近い存在。
咲夜。

ほら、穂積は私のパパがピアニストだって知ってるわよね。
咲夜は、羽村冴香さんの息子さんなの」


そう言って咲夜を紹介すると、
穂積は

「初めまして、崎田穂積です。
先日のリサイタル、楽しませて頂きました」っと、

挨拶を返した。


「そりゃ、どうもっ……。
じゃ、行くか。穂乃香」

咲夜のそんな声に、

「ごきげんよう」とお互い声をかけて、
私たちはその場を後にして別々のホームへと向かった。


咲夜との移動時間、
あいつは私をエスコートするようにふるまっていく。

満員電車で、
押しつぶされそうなときは私を抱き寄せて支え、
鞄が引っ張られた時には、
そっと手を伸ばして黙って荷物を自分の方に引き寄せる。


フローシアの最寄駅から、
20分ほどの移動時間をやり過ごして、
私は瞳矢の家の最寄り駅へと到着した。


駅構内のデパートで洋菓子を購入して、
それを手土産に檜野家へと向かう。



檜野家へと向かう道中、携帯を取り出して、
瞳矢の電話番号を表示させて静かに発信を押す。



暫くのコールの後、
電話の向こうから優しい声が聞こえてきた。


「穂乃香、どうかしたの?」


瞳矢君が私を呼んでくれる。


ただそれだけで凄く嬉しくて、
瞳から暖かいものがあふれ出していく。


「えっと、今、お邪魔したくて近所まで来てるの。
いってもいいかしら?」

「うん。
待ってるよ、穂乃香。
玄関の前で待ってる」


瞳矢はそう言って電話を切った。


「何、泣いてんだよ」

「咲夜には関係ないよ。
瞳矢君の声が聞けたのが嬉しいの。

暫く、私が電話しても、
電話に出てくれなかったんだよ。
 
そんな瞳矢君が電話に出てくれたの。
 
嬉しいに決まってるでしょ」

「はいはい。
なら、そういう事にしといてやるよ」

 

そう言って咲夜はポケットから取り出したハンカチを
私に差し出した。 


何度も深呼吸を繰り返して、
心を落ち着けると、
再び、檜野家に向かって歩き出した。


瞳矢の実家に到着すると、
瞳矢は玄関前で出迎えてくれた。


その隣には、
真人君が居て浩樹までいた。



「穂乃香、いらっしゃい。
それに……」

「羽村咲夜、真人の従兄弟だよ。
今は穂乃香さんの家で居候させてもらってるんだ。
伊集院先生の許可を貰って」


そう言って咲夜は自分の自己紹介をした。


「どうぞ、中に入って」

瞳矢の言葉で、
私たちは檜野家へと入らせてもらった。


通された瞳矢の自宅。


瞳矢自慢のプレイエルのピアノが、
少し前まで演奏されていたのが感じられる。


「今、真人と合奏してたんだ。
プレイエルにはショパンが似合うよねー。

真人、凄いんだよ。
ブランクがあって初見の曲も多いのに、
ボクが演奏したい曲をあわせてくれる。

穂乃香も一緒に弾かないか?

雨だれとかどう?
右手では思うようにできなくなったけど、
左手はまだ自由に動かせるから」


そう言って瞳矢は私を誘ってくれるけど、
私は演奏出来ないでいた。


「瞳矢のピアノを聴かせて」

そう告げるのが精いっぱい。


「なんだよ。

浩樹だけじゃなく、
穂乃香も一緒に演奏してくれないんだ。

なら咲夜君、君は?」

「雨だれ?いいよ。
何だったら、革命とか黒鍵でも」


咲夜はちょっと挑戦的に、
煽るように瞳矢に告げていた。


二人、競い合うように雨だれと革命を演奏していく。
久しぶりに聞いた瞳矢の音色。


「瞳矢、少し真人とピアノ貸してもらってもいいか?」

一通りの演奏の後、
咲夜は瞳矢に切り出した。


瞳矢は静かに頷くと誘われる前に、
彼がピアノの椅子へと腰かける。


「真人、昔みたいにリストのカンパネラとかどう?」


咲夜の言葉に私は驚きを隠せない。


カンパネラ?
この子がリストを演奏できるって言うの?


暫くして聞こえてくる、カンパネラ。


フレーズをリレーしあう様に交互に
ピアノの前を入れ替わりながら演奏する二人。

時折、ミスタッチが目立つ真人くん。

そんな真人くんのピアノを嬉しそうに見つめる瞳矢。


チクリと心が痛んだ。


「なぁ、瞳矢。
お前からも言ってやってよ。

穂乃香、グランドファイナル悩んでるみたいなんだ。
学校を理由にしてピアノにすら触れようとしない」


カンパネラを演奏し終えた
咲夜がいきなり切り出した言葉。



瞳矢は突然、突きつけられた言葉に
驚いたような表情を浮かべたけど、
すぐに真人君の顔を見て私へと視線を向けた。



「ボクもピアノを諦めないよ。
ALSでも楽しめる間はボクは音楽を楽しみ続ける。
浩樹も穂乃香もせっかく手に入れた切符だよ。
ボクに遠慮しないで大会で輝いてよ。

ボクは真人と一緒に、全国大会に応援に行くから。
ボクの楽しみを奪わないで」

そう言って優しく微笑みながら告げた。

「良かったな。
穂乃香、悩みが解決できただろ」


そう言って咲夜は私を捉えた。


その後も瞳矢たちは楽しそうにピアノを奏でていくのに、
私には何故か遠いところで、
かすかに流れているだけのように感じたまま、
時間が過ぎた。


瞳矢の家を後にした後、
咲夜を振り払ってタクシーに飛び乗って自宅へと帰る。


そして自分の部屋へと閉じこもって、
感情のままに鍵盤へと指を走らせた。




私は瞳矢を傷つけてばかり……。


どうしたら、
瞳矢を私が笑顔に出来るんだろう?


あの彼みたいに……。
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