優しい歌 ※.。第二楽章 不定期亀更新

7.心と体が告げる悲鳴 -冬生-


瞳矢の症状は薬を服薬して、
点滴を続けても完治させるものではない。

頭では理解して受け入れていたはずで、
それを承知ですがるように始めた対処療法なのに、
心はついていかない。


1月の瞳矢の指先の突然の違和感から今日までの間も、
瞳矢の病気の進行は留まることをしてくれなかった。


瞳矢の点滴の治療が始まって
3クールが終わった8月終わり。


2学期が始まる頃には、
右手の症状は少しずつ進行していた。


それと同時に、彼女の穂乃香ちゃんとの心の距離が
遠のいているような気がしていた。


浩樹君は本格的に瞳矢が出場が叶わなかったグランドファイナルに向けて
動き出してるみたいだった。
当初は、瞳矢に遠慮して悩んでいたような印象もあったため、
コンクール出場を決断してくれて、ホッとしている僕がいる。

穂乃香ちゃんの情報はあの日以来、一切入ってこない。

咲夜君が時折、真人を訪ねて檜野邸に出入りするようになるものの
それ以外の訪問客はなかった。

そして僕の予想を大きく裏切っていったのは、
もう一人弟の真人君の方だった。

この家で過ごすようになって、
真人は一気に明るくなったように思えた。


多久馬総合病院に時折訪ねてきては、
今もPTSDの治療に訪れているものの、
その時も多久馬院長との距離が、
少しずつ近づいているのが感じ取れて、
嬉しくなっていく僕が存在する。


春からの歩み方を分けた二人の弟。


そして檜野のお義母さんや和羽の事。

お義父さんが単身赴任で、
いつもそばに入れない分、
お義母さんが必死に瞳矢の闘病に寄り添っていて、
そのお義母さんの心を支えようと和羽が頑張ってる。

頑張ってるのは伝わってくるけど、
今、そんなに頑張りすぎてしまうと、
どこかでプツリとパワーが途絶えてしまいそうで……。


家にいて、家族のそれぞれの危うさに不安は覚えるけど、
今の僕自身が深く出来ることが思いつかない。

必要以上に僕が動きすぎると、
いざという時に動くことが出来そうにない。

僕だけは、家族の誰よりも一歩ひいて、
全体を見渡せる存在でありたいと思う。

だけど一線を引いて、見渡せば見渡すほど、
不安材料ばかりが浮き彫りなってしまう。


病院での仕事を終えて、
帰路に就く車内で、気持ちを整えながら、
自分に【大丈夫】だと暗示をかけながら自宅の駐車場へと
愛車を停車した。


「お帰りなさい」


車の音を聞きつけてか、
家の中から、奥さんである和羽がエプロンをつけて姿を見せる。


「ただいま」

「疲れた顔してる。
また何かあった?病院で?」  


そう言って覗き込むように和羽を僕を見つめる。


駄目だな……。

大丈夫の自己暗示をかけたつもりが、
もう和羽に心配かけてる。


「病院の研修でね。
大夢先輩に鍛えられたからかな……」

当たり障りなく、檜野家の不安材料を覗いた内容で
和羽に切り返して、家の中へと入る。


「お帰り、義兄さん」
「お帰りなさい」


台所のテーブルの前には晩御飯の準備を手伝う、
真人君と瞳矢が、僕を迎え入れた。


「ただいま」

「あらっ、お帰りなさい。
手を洗って晩御飯にしましょうか?」

お義母さんの言葉に、ただいまの挨拶を告げてそのまま台所を通り抜けて、
自室に荷物を置き、着替えを済ませてから洗面所で手洗いを済ませる。

鏡をまっすぐに見つめながら、
再度、自分に『大丈夫』と自分に静かに言い聞かせて、台所へと向かった。



「さぁ、ご飯にしましょうか」

お義母さんの号令を合図に、
それぞれが手を合わせて食事を始める。


食事を始めながら視線を向けるのは、瞳矢の方。


最初、右手でスプーンやフォークを握りながら、
食事をしようとしていたけど、口には運びづらいみたいで、
諦めて左手へと持ち替えた。

そんな瞳矢の様子に気が付いた真人は、
さっと手を伸ばして、
瞳矢が食べやすいように焼き魚の身をほぐす。


「瞳矢、これで食べやすいよね。

昔、焼き魚食べてる時に、のどに骨をたてちゃってから
僕、最初に全部、骨から身を外すようにしたんだ。

こんな風に。
一人分も二人分も変わらないからさ。手間は」


そう言って真人は、瞳矢をフォローするように言葉を続けた。

一瞬、固まったような表情を浮かべていた瞳矢も、
少し自分を取り戻したのか、「有難う。真人」っとお礼を告げて
左手で握ったスプーンで焼き魚を、白ご飯の上に運んで、丼にするようにして
ゆっくりと口元へと運び始めた。


そんな二人の弟のやり取りを見つめながら、
僕は晩御飯を進めた。     


「真人くん、その魚と身のほぐし方、凄いわ。
猫も食べるところがなくて悔しがりそうな感じよねー」


雰囲気を察したのか、和羽も会話の中に混ざっていく。


「和羽姉さんも綺麗に食べられてると思うんですけど……」
「真人君ほどじゃないわよ。
魚の食べ方で綺麗っていったら、冬も綺麗なのよねー」


そう言うと皆の視線は、
僕の焼き魚のお皿へと向けられているのが伝わる。


「わぁ、本当だ。
僕は最初に骨から身を全部外してしまうけど、
その都度、食べる時にだけ身をほぐしながらも、
そんなに綺麗に食べれるんだね」

なんて真人君が感想を告げる。


なんでもない些細な事を言葉にして、
沈黙になりそうな空気を、重たくなりそうな空気を
必死に持ち上げようとしているのが伝わってくる団らんの時間。



壊れかけの歯車が異音が、聞こえてくるようだった。


晩御飯を終えた後は、
いつものように瞳矢の右手をマッサージする。

プレイエルに視線を向ける瞳矢。
プレイエルの蓋を開けて鍵盤の前に座る真人。

いつもの日常が続いているだけなのに、
時間が経過するにつれて、空気が重たく感じる。


「瞳矢、今日は何を演奏しようか?」
「真人が演奏したい曲は?
ぼくの楽譜が必要なら、言って。
すぐに用意できるよ」
「ノクターン 第五番 嬰ヘ長調」


真人の言葉に
「兄さん、有難う。少しプレイエル楽しんでくるよ」っと
瞳矢は僕の前から立ち上がって、
楽譜を手にピアノの前へと移動する。  


真人の右手と、瞳矢の左手で仲良く奏でられる、
プレイエルのピアノの音色が、室内へと優しく響き始めた。


ピアノを触っている時だけは、
瞳矢の心が救われているの確かなのだと、
瞳矢の表情を読み取りながら、胸を撫でおろす。

今は左手でプレイエルを奏でられる。

いつか……それすらも叶わなくなった時、
瞳矢は……。


それを考えると、心が痛くなる。


弟たち二人の奏でる演奏を聞きながら、
僕は自室へと戻ってPCを起動させた。


ALSの文献を少しでも読んで、
瞳矢を支えたい。


ふいに、PCのポップアップが開いて、
留学中の先輩であり、友人でもある裕真からの着信が入る。


すぐにイヤホンを接続して通信を繋げる。


「冬、今、時間いいかな?」
「裕真はいつもですね……」


イヤホンの向こうから聞こえてくる懐かしい友の声。


「そろそろじゃないかなって思ったんだけど、
冬からなかなか連絡が来ないから……」
「大夢先輩とか、裕先輩の差し金ですか?」
「兄は関係ないかな。
大夢先輩とは今も別件で繋がりはあるけど。
今回はそれよりも直感って言う方が確かかも知れないね」
「……」


そう言って切り出した後の裕真は、
僕の心の中に抱えるものを会話の中で引き出しながら、
受けとめてくれる。


「……冬……もうそろそろ、
自分を許してあげてもいんじゃないかな?」


裕真の言葉に僕は、
両親を一緒に失った高校生だった
クリスマスのあの日を思い出していた。



僕の両親は仕事人間で、
多久馬院長を支えてずっと患者さんの為に動き続けてる人だった。
幼かった僕が、どこかに出掛けた記憶なんてほとんどない。

そして高校の卒業を間近に迎えたクリスマスのあの日、
珍しく旅行に行こうと父は言い出した。

そして……楽しい思い出になるはずだったクリスマス旅行は、
交通事故で両親二人を失った日になった。

母によって命がけで助けられて、
一命をとりとめた僕。

あの日、家族は突然、失われることを知った。



「冬……たまには自分を受け入れて許してあげるんだよ。

あっ、新しい文献を見つけたんだ。
冬も目を通してみるといいよ。

そろそろ休憩時間が終わってしまいそうだ。
仕事に戻るよ」


そう言って、裕真はゆっくりと通信が切れた。


イヤホンを外すと、
さっきまで部屋に広がっていたプレイエルの音色は今は止まっていた。  



文献の添付データーをPCに保存すると、
電源を落として部屋を出る。




大切な家族を失うのはまだまだ先でいい。
今の家族のために僕が出来ることがあるなら、
それを今は精一杯やりたいだけなんだ。

もう後悔なんてしたくないから。


だから今は……僕にもっと力をください。
大切な存在を守り切れる力を……。



心と体が悲鳴をあげているのを感じながらも、
今出来る一歩を踏み出し続けなければ、
動けなくなるようで、怖かった。
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