優しい歌 ※.。第二楽章 不定期亀更新

「瞳矢、最近どうしたの?
 いつもあんなところで、指が止まるなんてことなかったでしょ?」

浩樹が演奏している傍で、
この教室で出逢って以来、何度か会話を交わして同じ時間を過ごしているうちに
彼氏・彼女の関係へと進展した、一つ年上の伊集院穂乃香【いじゅういん ほのか】が
声をかける。


「少し疲れてるのかも」



穂乃香にはそう言って言葉を返したものの、
それは自分自身へ言い聞かせる為のもの。


大丈夫、今は疲れているだけ。
ボクの指はまた思い通りに動いてくれる。


「本当に?

 春休みだって瞳矢、お父様が帰国した時に
 我が家に来なかったじゃない。
 
 お父様だったら、瞳矢の指の原因わかったかも知れないでしょ」


穂乃香の父親である、伊集院紫音【いじゅういんしおん】氏は
世界的に有名なピアニストであり、音楽家専門外来なる
音楽家の為に腱鞘炎などの治療を上手く練習をコントロールして
行っていく、そんな特殊な医師。


出逢った当初は、穂乃香がそんな有名なピアニストの御令嬢とは思わなくて、
『ピアノを習ってるわりには、君は何も知らないんだね』って
浩樹には呆れられた。

だけど出逢った当初は、穂乃香はピアニストと言うよりは、
テニスプレーヤーみたいな印象が強かったから。

この夏からは、聖フローシア学院のテニス部で
次期主将候補になってるとか、ボクとは次元が違う様に
自ら輝きを放ち続ける。

それがボクの彼女。
だけどその眩しさも、時折苦しくなる。


地区大会予選。

第一次審査から第三次審査まで通過したボクを
先生も家族も喜んでくれたのが、三か月前。

世間が大地震で慌ただしくなった直後。

地区大会本選出場を受けて、
益々練習を強化しようとと猛練習を始めた矢先、
突然、指先に感じ始めた違和感。


自分の指なのに、
自分の意のままにならない指先。


ピアノを志すものなら、
多分一度は経験するであろうその感覚。


最初はそうだと思ってた。
時折、腱鞘炎などで指を酷使した後に
感じるもどかしさ、ストレス。


だけどその違和感は三ヶ月経った今、
益々強く感じるようになった。


こんな両手のコンディションで、
穂乃香の招待は受けられない。

この指先の原因がわからない現状で、
次のコンクールに
出場できないようなことになったら、
ボクは……幼い日の親友にすら会えなくなると思ったから。



幼稚園にあがる前まで、
ボクは、その親友・真人と共に真人のお母さんのグランドピアノで
ずっと練習をしてた。

お父さんの仕事の関係で引っ越しをして以来、
真人とは今日、再会するまでずっと逢えなかったけど
ピアノを続けていることが、真人とボクを繋ぐ絆みたいだった。


こんな形で、入学式に再会するなんて思っていなかったボクは、
春休み、こんな運命を知る由もなくて
ただピアノを奪われるのが怖くて、必死に練習に没頭してた。

動かない指先の問題を一人抱えながら。


国家試験合格を目指す、和羽姉さんの旦那である、
冬生義兄さんの邪魔もやりたくなかったから。


完成させたい。
コンクールに出たい。

思いは強いのにどうにもならない現実。

僕の指はどうなってしまうの?



浩樹の演奏を聴きながら、
譜面の上でボクも指先を無心に走らせる。

ボクの脳裏には、ボクだけの音が響き続ける。

聴覚を刺激するのは浩樹の豪快な音色。
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