ボロスとピヨのてんわやな日常
 意識していないのに尾がアンテナのように立つ。ピヨも硬直したまま動かない。
 そりゃそうだ。俺もピヨも近距離で大型犬に話しかけられたことがない。何故なら、姿が見えたら危険と判断して逃げるからだ。
 大型犬の怒りをかって、大怪我をした仲間もいる。ただ近づいただけで襲われたという者も多い。そして、今回は餌に関してだ。
 どんな動物でも食事を邪魔されたら牙をむく。食糧の獲得競争。野生において、それは命を天秤にかけた戦いなのだ。実際、目の前の大型犬も俺とピヨを鋭い目つきで見ていた。
「お前、名前は? どこからきた? その背中にいるのは本物でいいんだよな?」
 強面の顔で質問攻めにあった俺の尾は、今度は垂れさがる。これはもう、覚悟を決めなければいけないようだ。
「名前はボロスです。あの山の向こうから車に乗ってきました。背中にいるのはヒナのピヨ。本物です。お願いです。僕を肉団子にして食べないで!」
 出来る限りのことは話した。これで相手が攻撃してきたのなら、もう仕方がない。腹をくくろうと思ったその時だ。
「はははっ! この俺が、お前を丸呑みにするとでも思ったか? イノシシやキジの肉は好きだが、猫はごめんだな。しかもお前は排気ガス臭いし、食えたものじゃない。ボロスとピヨか。名をきいたら、俺も名乗らないといけないな。俺はアラスカン・マラミュートのリッターだ。この村のボスをやっている」
「この村のボス……道理で……」
 威厳とプレッシャーを感じるわけだ。リッターと名乗る大型犬が喧嘩をする気はないと知り、大きなため息が出る。その途端、俺は腰が抜けるように地面に座りこんでしまった。脱力というやつだ。ピヨは緊張を和らげるかのように、体をバタバタと振った。
「最近、野犬狩りが激しくなってな。その肉団子を食うなと言った理由は、野犬を駆除するための毒団子だからだ。仲間が何匹か泡を吹いて死んでる。猫だと食べたら数十分ともたないだろうな」
「えっ、毒団子?」
 俺がいたところでは考えもしない話だ。泡を吹いて死んだって――ということは、食べたら俺も? 想像したら背中に寒気がはしった。
「そんなに怖いものが落ちているのか……助けてくれてありがとう」
 俺が頭をさげて礼を言うと、リッターは満足そうに低い声で笑う。
「いやいや、見回りをしていてよかったよ。俺は、よそ者でも種族が違っても、姿勢がしっかりしている奴は嫌いじゃない。腹が減っているならついてきな。仲間に紹介することになるが、食うには困らないはずだ」
 えっと、仲間ってことはリッターのような大型犬が、たくさんいるってことだよな。けど、ここで誘いを断るのもマイナスだ。何故なら、俺は田舎での食糧の確保の仕方は知らないからである。
「心配することはない。いい奴ばかりさ。今日はご馳走もたくさんあるし、皆、機嫌もいいんだ」
「じゃあ、お言葉にあまえて……」
 俺が頼んだと同時に、頭の上から降りたピヨが「お願いします」というように頭をさげた。それを見て、リッターは更に大きな声で笑った。
「さっきは嫌な臭いだといって悪かったな。どうにも人間の臭いがするのは嫌いなんだ」
 そこで話すのをやめたリッターは俺に鼻先でついてくるようにとの動きを見せる。神妙な面持ちということは、リッターが人間嫌いというのには深い訳があるのだろう。
 しばらく歩くと山道へと入った。そして、小さな穴の洞窟が見えてくる。
「この中だ。おい、ガイ。客人を連れてきたんだ。ちょっときてくれ」
 リッターの呼び声に反応した大型犬が姿を見せる。ガイという黒い犬は、姿を見せるなり、大あくびをすると、ちらりと俺とピヨを見た。
「おいおいリッター。猫を連れてくるなんてどうかしてるぞ。それと、ここにくるまでに人間に付けられていないだろうな」
「それは俺が見たから大丈夫だよ。じゃない。僕が見たから大丈夫です」
 リッターの代わりに俺が答えると、またリッターは笑った。
「ははっ、俺よりできた客人だな。こいつの名前はガイ。見ての通りリトリバーだ。賢い奴だから、よく助けられている」
 二匹から受ける印象は、豪放磊落で気さくなリッター。冷静な判断をする真面目なガイというところだろうか。正反対の性格ともいえる二匹が仲間をまとめられるのは、相補性が確立されているからだろう。
 洞窟の中は暗いが俺たちは動物だ。人間とは違い、暗闇の中でもわずかな光さえあれば、はっきりと見える。
 奥にはリッターの仲間の大型犬が他に四匹。一匹は母犬だろう。加えて子犬が三匹いた。
 そして、その近くにはご馳走が。
「これって……」
 俺でもすぐにわかった。これは牛肉と鶏肉の塊だ。そして、ドッグフードの袋がいくつかある。これは狩りで得た物ではない。明らかに人間の手から盗んだ物だ。
「どうだ。すごいだろう」
 自慢げに言うリッターを前に、俺は美味そうだと思いつつも不安を感じていた。
 彼らは、人間に恨みをかっているのではないかと――。
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