ボロスとピヨのてんわやな日常
 ゴトゴトと車が揺れる音だけが響いていた。静寂が続いているのは、皆が注目しているからに他ならない。
 目の前には期待した目で俺の応えを待つ千代丸がいる。しかし、俺は安易に応えられずにいた。何故なら、千代丸は田舎育ちの猫である。つまり、街での生活の術を知らない。ただでさえ、ピヨの扱いに困っている俺だ。そんな千代丸が加わったのならどうなるのか。何となく、生活が困窮するのが想像できていた。
「あっ、食事のことなら、ご安心ください。この千代丸。弟子である以上は、師匠にご迷惑はおかけいたしやせん。これ、お近づきといってはなんですが、贈り物です。どうぞ、お受け取りください」
 まるで、俺の心の内を読み取っていたかのような千代丸の発言にドキッとする。しかし、贈り物だと川魚を渡されて、俺は千代丸の心遣いに安心しかけた。
「……って、この魚、そこの荷物から盗ったものだろうがあ!」
 受け取りざま川魚の出所がわかって、つい突っこんでしまう。
「いやいや、遠慮なさらずに。まだまだたくさんありましたので」
「そういう問題じゃねえ! ばれたら、魚屋の親父に餌をもらえなくなるだろうが!」
「ばれないようにできるのが忍びです。口の中に隠すのだって得意でござるよ」
「食うな! そして、尾が口の脇から出てる。出せ、このやろう」
 今度は口で言うのではなく、後頭部を叩いての突っこみだ。途端に千代丸の口から川魚が四匹飛び出した。――って、四匹かよ。一匹かと思ったわ。こいつ、思った以上に突っこみどころ満載の奴だぞ。
「師匠に伝説の猫神パンチもらえたあ。千代丸は光栄です。あっ、四匹なのはですね。皆さんの分も確保していたということで」
「お前の口の中に入っていたものを食えるかっ! もういい。すこし黙っていてくれ。頭痛くなってきた」
 こいつは何で、後頭部を叩かれて頬を赤らめることができるんだ?
 どうやら千代丸。どんな問題も限りなくポジティブ変換する奴らしい。これは、こいつを一匹にするのがまずいように思えてきた。尊敬されているからという理由ではない。放っておけば、トラブルの素になる奴だと思ったためだ。
「あー、千代丸くんとやら。先程からチラチラとわしを見ているが、もしかしてわしが見えているのかね?」
 頭を抱えていると、親父がとんでもないことを千代丸に聞いた。いや、見えないのなら親父の質問には答えられないはずだ。しかし、千代丸は問われるなり敬礼をした。
「親父殿の姿ははじめから、よく見えるであります。拙者、視力はすこぶる良いのですよ。これ、自慢です」
 どうやら千代丸。ただのど天然野郎だと思っていたら、かなりの霊感をもっているらしい。そういえば、一流の忍びになる修行中だと言っていたな。それが本当なら、他にも特技がありそうな気がする。
「他にも特技とかないのかね」
 そう思っていると、親父が先に千代丸に質問した。これに千代丸は胸を張って「えへん」という、わざとらしい咳払いをする。
「よくぞ聞いてくださいました。拙者、いくつか忍術を使えるのでござる」
「それはすごい! わしは時代劇や忍者ものが好きでな。是非とも見せていただきたい」
 村の子犬たちが熱中していたためだろう。親父もテレビの影響を受けてしまったらしい。千代丸はというと、ここぞとばかりに印をくんで、何やら唱えはじめる。
「分身の術!」
 千代丸がそういった途端、千代丸が三匹になる。うええっ、一匹でも手に負えない天然っぷりな奴なのに、三匹になったらどうなるんだ?
 その時、千代丸に対抗とばかりにピヨが真剣な表情を見せると、いきなり三匹に増えた。
 おいいっ、ピヨも三匹になったらどうなるんだ? 餌が三匹……いや違う。てんわやが三倍になるじゃないか。
「二人ともやりおるな。では、わしも披露しよう。エクトプラズムからの分離!」
 そう言った親父は、自分の分身を口から出して三匹になる。
 これは技としてはどうなんだ? ピヨや千代丸と争える術なのか。というか、口からって。気持ち悪っ! 最後の一匹はかなり薄くなっているけど。むこうの景色が見えるけどっ!
 三者三様、互いに譲らない競い合いをして、ピヨも親父も千代丸も不敵に笑い合っている。なに? この超人……もとい。変態どもの技の出し合いはっ!
 俺もなにかしないといけないの? このノリについていかなきゃいけないのか?
「あっ、時間切れっす」
 対応に困っていると、派手な煙幕が出るとともに、千代丸は一匹に戻っていた。煙幕が何故出たのかはわからないが、ここは演出だと思っておこう。
 ほぼ同時にピヨも一匹に戻っていた。
「ピヨ殿さすがです。素早く動くことによって残像を生み出すとは!」
 千代丸の説明的なセリフのお蔭で、ピヨが増えた理由を知ることができた。
 では親父は? と思って見てみると、三匹の親父全ての姿が薄くなってきている。
「おわああっ、昇天しかけてる。はやく分離した体を飲みこめ。飲みこむんだー」
 慌てて二匹の親父を本体の親父に向かって猫パンチすると、二匹の親父は口の中に吸い込まれていた。一匹になった親父の姿はすぐに濃くなって、もと通りになる。
「すまんボロスくん。調子に乗りすぎてしまった。お蔭で生き返ったよ」
「親父殿の生気が戻ってよかったです。しかし、親父殿の分身の術もなかなかですな」
「ピヨッピピッヨピー」
 互いの能力が拮抗しているのを見て、何故か意気投合する三匹。
 そして、なんで親父はもとから死んでるって、誰も突っこまないわけ? 
 生気って? 霊体にはもともと存在しないものでしょ!
「誰か、誰か、はやく俺を街に帰してくれー!」
 もはや、突っこみはこの三匹の前では通用しないと感じ、俺は誰にもぶつけられない悲鳴をあげていたのだった。
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