魔王スサノオ降臨
第2章、ベトナムの地

Ⅰ、五百井(イオイ)一族の末裔


チ-ン、おはようございます、お母さん。
コーヒー入ったからね、飲んでね。
ベトナムに来ても、毎朝のお供えコーヒーは欠かせない。
そう、生前はコーヒーが好きな母親だったなぁ。
私が実家に行ったら、まずコーヒー、それも砂糖とミルクたっぷりの甘い甘いコーヒー。
そして、コーヒーはインスタントのネスカフェが決まりだった。
こっちに来て、ベトナム産だろうけど、ネスカフェのインスタント・コーヒー見つけた時は、ほっとしたよね。
朝のコーヒーをどうしようかって困ってたときだったし。

私の母親は五百井(イオイ)一族の血を引く人。
でも、五百井(イオイ)一族に関しては、特に知識もないけどね。
母親や親戚から、聖徳太子についていた宮大工だったって聞いてただけ。
法隆寺の建立にも関係したらしいけど、昔すぎてわからないよね。
こっちに移住する少し前のこと、生きることに疲れてしまった時があった。
その時、なんか導かれるように法隆寺に行ったっけ。
自分なりに、ご先祖様と同じ視線で仏様や寺社を見れるんじゃないかって思ったんだよね。
だけど、なんでそんな事を思ったのか・・・
そうそう、きっかけは中宮寺の如意輪観世音菩薩(ニョイリンカンゼオンボサツ)様に、無性にお会いしたくなったからだったなぁ。
あんなに仏様に会いたいなんて思ったことって、これまでなかったのに。
お会いして、心が軽くなったのは事実だし、その後のことも好転、本当に感謝してるんだよね。
そうだ、その時だったんだよ。
偶然に、法隆寺のすぐ近くに五百井(イオイ)の地名があるのを知ったの。
更に、そこに五百井伊弉冊命(イオイイザナギノミコト)神社という神社があるのも知ったんだよ。
伊弉冊命(イザナギノミコト)の名に引かれて行ってみたけど、あまりにこじんまりして、古ぼけてる感じだった。
昔、近くにあったお寺の一部が、江戸時代くらいに移設されてきたらしいね。
五百井(イオイ)の名と伊弉冊命(イザナギノミコト)の名が繋がってることには興味を持ったけど、それだけに終わっちゃったなぁ。
でも、社殿に立ち入る時、よくわからないけど微妙な振動のようなものを感じたんだよね。
武者震いのような、ぶるぶるって感じだった。
社殿の壁にたくさんの木画があったのだけは印象に残ってるんだけど。
木のキャンパスに直接描いたような、ものすごく古い画で、昔の武将や、よくわからないようなものも。
年代はわからないけど、古すぎて、褪せてしまったんだようね。
あっ、その中に龍が空を駆け巡ってるような画があったっけ。
私を睨んでるようで、ちょっと怖い感じだったかなぁ。

五百井(イオイ)の親戚も数少なくなって、皆さん高齢になってしまってる。
こちらに来る前に催された、母親の七回忌でお会いして以来、連絡もしてないし。
まあね、もともと親戚付き合いはしていなかったし。
皆さん、お元気なのかな。
私より若いって、甥っこだけだしねぇ。
寂しいけど、もう、関係者も僅かなんだね。

そういえば、わたしのおじいちゃん、京都の西本願寺の僧正だった人。
大僧正様の次の位?
かなり、偉い人だったんだよね。
当時、近畿各地にお寺を持ってたし。
だから、親戚一同は皆お寺さんだったんだ。
無神論者って、私だけだったはず。
親戚の皆さんからすれば、異端者・罰あたり者だったのかな。
親戚を取りまとめたのは母親だったし、女系の長女だったこともあって、許してもらえてたのかもね。
まあ、子供のころは、神も仏もこの世にいないなんてつっぱってたけど、年取ると丸くなってくる。
無神論者っていっても、全てを否定した訳じゃないし、信仰はその人の自由だって思ってたし。
今の私には、神様や仏様は感謝の気持ちそのものになってるのかな。
それはいいことだと思うし、これからも続けていきたいよね。
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