さくらのこえ

「今日は暖かいですし、少しこちらに寄ってはいかがですか」

 心配されていることが分かったので、春姫は大人しく言葉に従うことにした。
 時刻はお昼すぎといったところか。既に真上に太陽が昇っていて日が当たるここは確かに暖かい。
 太陽の光に照らされる春姫の姿は月明かりの時より一層肌が透けて見えて、周りの女房は静かに息を漏らす。そんな目で見られていることに気づかない春姫はただじっと和春の帰りを待っていた。
 いくら春姫が彼を想っても叶わないことだと知っているのに春姫の心は彼に囚われたままだった。何も考えず、私を受け入れてくれる和春の胸に飛び込めたのなら良かったのに、と春の陽気の中で思いを馳せる。

「きっともうすぐ帰っていらっしゃいますね。和春様は春姫様が大層お気に入りのようですから」

 その言葉は素直に嬉しかった。けれど、何も明かさない自分に、声さえ出せない自分をどうしてそこまで世話をしてくれるのか春姫には理解できなかった。誰の役にも立てない自分が酷く醜い者に思えて、春姫はそっと目を閉じる。
 忘れられないのだ。十年も前の出来事なのに。
 涙がじわりと溢れそうになった時、部屋を駆ける音がした。

「春姫……!」

 彼は脇目も振らず、春姫を見つけるとその腕の中に彼女を収めた。

「良かった……無事で……」

 ごめんなさい、と言うように春姫の方もそっと和春に手を伸ばす。周りの視線すら気にならないようで、和春はただ目の前に居る春姫だけを見ていた。

「春姫……春姫」

 今度は春姫が抱き締める番だった。存在を確かめるように何度も名前を呼び、春の陽射しに映る二人の姿はとても美しかった。
 女房たちも紫も安心したようで、邪魔をしないように退出をする。

「俺は貴女に笑っていて欲しい。貴女が苦しむことから守ってやりたい。……好きなんだ」

 突然の告白に春姫の身体が固まる。ほのかに感じていた和春の想いをぶつけられ、素直に応えられない自分がいた。暖かな温もりも、優しい瞳も、真っ直ぐな性格も春姫は惹かれていたがどうしても頭の片隅に彼が映るのだ。
 戸惑う春姫に和春は苦笑いする。

「今すぐ春姫に応えて欲しい訳じゃないんだ。ただ貴女を失いたくなかった。それだけは分かっていて欲しい」

 和春の言葉に何度も頷く。そのまま首へと手が伸びる。言葉で伝えられない代わりに態度で示したいと思ったのだ。春姫から抱きつかれたことで和春の心臓は一気に早まる。

「勘違い、しそうだ……。春姫が望むならずっと傍にいよう。好きだ」

 二人の間に隔てるものは既に無かった。ただお互いの温もりを共有するだけで良かった。


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