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信号は赤になった。にもかかわらず、スクランブル交差点の真ん中で、彼女は歩を速める気配を見せない。

その様を僕は、交差点の角のビルの3階のカフェのガラス越しに見つめていた。向かいから右折しようとした車が、少しイラついたようにじりじりとハンドルを切る。彼女はそんなことにも気を留めず、自分のペースを崩さないまま、ゆっくりと交差点を渡り切った。車の流れが、急速にスムーズになる。

今この世界で、彼女が走ろうとしない理由を知っているのは僕だけだ。――もちろん、どこか身体に問題があって走れないわけではない。彼女は至って健康な、普通の女性だ。

ビルの入り口に彼女が吸い込まれてゆくのを見届けて、僕は冷めかけたブラックコーヒーのカップに口を付けた。
猫舌の僕にはちょうどいい頃合いで、待ち合わせより少し早めにここに来てよかった、と息をつく。

ぼうっとガラスの外の世界を見つめる。土曜日の午後は誰もが思い思いの時間を過ごしていて、交差点を歩く人たちも心なしかゆっくり歩いているような気がした。誰かと連れ立って歩いている人が多いからだろうか。
家族連れ、友人同士、それから恋人。誰かの隣にいる人たちは、たいてい笑顔を向けていた。


「お待たせ。ごめんね、遅れて」
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