十八歳の花嫁

無言で座る愛実に弥生は言葉を続けた。


「藤臣さんが決断できずに苦しんでいる、というなら……あなたが決めればよろしいではないの。簡単なことですよ。明後日の結婚式、花婿を和威さんにしたと言えばよいのです」


弥生は微笑みを浮かべ愛実に告げる。


「わたくしはね、愛実さん。あなたに財産を譲りたい、と言っているのです。その後のことまで、何も命令していませんし、そんなことできませんでしょう? わたくしも齢(よわい)八十……お迎えもそう遠いことではありませんよ。生きている間に和威さんのお嫁さんを見たかっただけですもの」


その後……弥生が亡くなった後、愛実が藤臣に屋敷を譲りたいなら好きにすればいい、といった内容の言葉に、愛実は切なくなる。

確かに、大きな屋敷を維持していくことがどれほど大変か、愛実は経験から知っていた。西園寺邸ですらそうなのだから、この美馬邸となれば大変どころではないだろう。

和威は東部鉄道の一社員だ。
いずれ出世するにしても、それまでの間にかかる相続税や固定資産税、修繕費や人件費などとても賄えるものではない。

そういったことも含めて、藤臣でなければ維持できないと弥生もわかっているのだ。


「藤臣さんがね、わたくしや夫を恨んでいることは承知していますよ。だからこそ、この屋敷もすべてご自分のものになさりたいのでしょう。それに、あなたのことを可哀想に思っているから……」

「可哀想なんて……違います、そうじゃなくて」

「あなたは藤臣さんを愛してらっしゃるでしょう? でも、藤臣さんが候補から降りてしまわれたら、どうなるとお思い?」


愛実はこのとき初めて、母がサインした書類の重さに気づいたのだ。

自分たちだけならいい、どれだけ苦労しても時間がかかっても、借りた物を返すのは当然のことである。
だが、親戚一同を巻き込まないためには、愛実は他の三人から結婚相手を選ばなければならない。

愛する人の選択を待つ自由など、愛実にはなかったのだ。


人生は簡単に途中でリセットすることはできない。

どれほど誠実に生きているつもりでも、正しくあろうと努力しても、ふいの嵐に巻き込まれて思わぬ迷路に迷い込んでしまったとしても……。


愛実は自分の運命が、この美馬家から逃れられないものであることを悟った。

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