優しい胸に抱かれて
 切る暇がなかったなんて、嘘を吐いた。

 そこまで暇がなかった訳じゃない。伸びればボサボサになるんだから毛先だけでもとカットに行くし、カラーだってする。クライアントに会うことがある以上、身だしなみは忙しい中でも気をつけていた。

 2年前までは前髪を下ろしてボブだったヘアーは、この2年の間に胸まで伸びた。

 年相応に見られないから伸ばしてみたら、それでも童顔だと言われ続けるだけだった。前髪を後ろに持って行っても同じだった。

 さっきみたいに眉間の皺が分かり易くなったって、からかわれるだけで大人っぽくは見られなかった。

 変わりたかったから、失うことと引き替えに何か一つでも変わりたかった。

 それだけで何かが変わるわけないのに。


 彼は私より二つ上、工藤 紘平(クドウ コウヘイ)。

 2年前まで付き合っていた[元カレ]は、懐かしい香りを纏い、社交辞令をすんなり言えてしまうくらい大人になって戻ってきた。

 からかうような社交辞令に、昔と変わらない優しい笑顔を張り付けて。


 何かが変わったとすれば、彼の隣を並んで歩いている人物が2年前とは違うってことくらい。

 彼の薬指にはめられた指輪は、俺は独り者じゃないと。お前がむしゃらに忘れようとしていた間、自分には別の人が出来たと。

 物言わぬそれは私に語りかけた。

 店、商品、諸々に傷が付く、クレームに発展する。万が一引っかかったら事故にも繋がる。そんな理由でうちの建築士や施工技師は指輪をはめない。

 その建築士の彼が指輪をする。それがどういうことなのかは聞かなくたって解る。

 相手への想いは[本気]って言っているのと同じ事だった。
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