優しい胸に抱かれて
 歪む視界の奥で何も言わず、私のことは何でもわかるといった眼差しを下ろし、優しい表情で笑って、佐々木さんに乱された髪を掬う。


 島野さんは佐々木さんの報告に驚いた様子を見せ「ああ、そうか」と、納得の声を上げた。

「マリッジブルーだったのか?」

「ま、そんなとこですかね」

「昇格祝いと佐々木さんの結婚祝いじゃん!」

「やっとかよ、長ぇよ…」

 待ちくたびれたみたいに欠伸をした日下さんに「日下には解らないだろうなあ」と、佐々木さんがさも面白そうに頬に皺を刻む。


「男と女、色々あるんだよ」

 印象が強いそれは、口癖に近い。不安感から困らない程度に詰め込んだ大きな鞄より、何でもかんでも詰め込まれた引き出しよりも、ずっと重く。詠嘆な音として響く。


「色々あるのは男と女だけじゃない。人対人ならば色々あって当然」

 島野さんから発せられた言外の意味を含ませた言葉は、無言で同意を促されたように全員が頷いて。


「確かに…」


 見守るように照らしていた夕陽は、[まだまだ足掻けよ]とでも言うかのように、ビルの隙間に逃げていく。


 私たちを見下ろしていた空は役目を終えようと光を吸収していき、淡い藍色で染められていった。




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