となりの専務さん
「ちょっと、ムシ?」

そう言われ、私はバッとカーテンの方を振り返る。

「え、え? もしかして私に話しかけていましたか?」

「当たり前でしょ。ほかに誰がいるの」

私がカーテンの向こうに話しかけると、同じように専務もカーテンの向こうから私に返事してくれる。


「す、すみません! 誰かに電話されてるのかと思いまして!」

「電話の第一声は『もしもし』とか『お世話になってます』とかじゃない? いきなり『デートしよう』で始まる電話ってないと思うんだけど」

「あ、す、すみません。以前付き合ってた人は電話の第一声が『廃墟行こうぜ』とか『クワガタ捕まえようぜ』とかだったので……」

「え、なにその元カレ。どんな人なのか顔見てみたいんだけど。まあいいや、今日ってヒマ?」

「え、今日ですか? え、えと? とっ、とりあえずカーテン開けます」

画びょうを外してカーテンが剥がれると、専務の姿が正面に現れる。
専務の髪はボサボサで、ボロボロのジャンパーを着ていて、つまり初めて会った時と同じ格好をしていた。


「その格好は……」

私のその言葉にはなにも返さず、専務は。


「石川さん、今すぐ出かけられる? しばらく待っててもいいけど」

と私に聞いた。いっしょに出かけるのは決定事項なのだろうか?


「あの、出かけようと思えばすぐ出かけられます。でも、デートって……?」

「じゃあ、五分後にアパートの入り口に集合ね」

「いや、あの」

「じゃ」

そう言って専務はその場を離れ、穴から見える範囲から姿を消してしまった。


「ちょ、ちょっと!?」

呼びかけても返事はなく、そのあとすぐにガチャンという玄関の戸が開閉される音が聞こえたので、専務が外に出ていったのがわかった。


予定はないから出かけることはできるし、むしろなにかしたいとは思っていたけど……突然いったなに!? 私は戸惑いながらも、とりあえず出かける支度を始めた。
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