お帰り、僕のフェアリー
ある日、高遠のカンガルーケアの後で静稀の部屋を訪ねた。

静稀は、僕を見て
「おかえりなさい」
と言って、微笑んだ。

「静稀?僕がわかるの?」
慌てて僕は、静稀に駆け寄った。

静稀は、不思議そうに僕を見て、また歌を歌って、僕にしがみついた。
……戻ったわけじゃなかったのか。

でも、少しずつ、静稀は良化している。
僕はそう信じて、静稀と触れ合い、話しかけ続けた。


高遠がこの世に生まれ出て、1ヶ月半。
ようやく高遠は、保育器から出してもらえた。
僕は意気揚々と、静稀の部屋に高遠を連れ出した。

「静稀~。高遠だよ~。」
僕の訪れに、顔を輝かせてうれしそうに起き上がった静稀に、僕は高遠を抱かせてみた。

静稀は高遠に驚いて怯える様子を見せた。

高遠には静稀の感情が伝わったのだろう……高遠は大きな声をあげて泣き出した。
……もはや高遠にメロメロな僕には、その泣き声すら元気で愛らしい響きにしか聞こえないのだが、はじめて接した静稀には、怖いかな?

僕は高遠をあやそうと、静稀から高遠を抱き上げようとした。

が、静稀は、高遠を放さなかった。
「ごめんね。泣かないで。高遠。」

静稀はそう言って、高遠に頬ずりして、自分の胸にしっかりと抱きしめた。

高遠はすぐに泣き止んで、ごそごそと静稀の胸をまさぐりしがみついた。

すると静稀はとても自然にパジャマのボタンをはずし、高遠に母乳を与えた。
高遠ははじめて静稀の母乳を直接ふくみ、必死で吸っていた。

「かわいい……」
そう言いながら、静稀はホロホロと涙をこぼした。

僕はまるで奇跡を見ている気分だった。

これは、どう捉えればいいんだろう。
静稀の無意識の母性?

……これまでにも、静稀の小さな良化に一喜一憂してきた僕は、臆病になっていたようだ。

静稀に声をかけることができず、ただ見ていた。

へたに話しかけて、また、すかされるのが怖かった。

しばらくして、高遠はお腹がふくれてきたらしい。
静稀は高遠の背中をとんとんと軽く叩いてゲップさせた。

……ちゃんと、そういうことも知っててできることに、僕はまた驚いた。

高遠が静稀の胸で、安心して眠ってしまう。

静稀は高遠を抱きながら、ずっと静かに泣いていた。
「セルジュ……いつ、この子は、生まれたの?……高遠って、名付けてくれたの?」

僕は生唾を飲み込んだ。
「静稀……君……わかるのかい?……ああ。この子は、君と僕の子だ。高遠だよ。ちょうど一ヶ月半前に誕生した、君の子だよ。」

僕の言葉が本当に静稀に届くのか、僕は震える思いでそう言ってみた。

静稀の涙は止まらなかった。
「高遠……ごめんね……やっと会えたね。」

「し……ずき……。おかえり……。」
僕の声が緊張でかすれる。

「セルジュ……」
静稀は、僕を見て、ただ泣いていた。

僕は、たまらず、静稀を抱きしめた……高遠をつぶさないように。

「……長い……夢の中で……何度も道に迷ったの……何度もセルジュに力をもらった……気がする……思い出せないけど……」

静稀はそう言って、右手で頭を押さえて顔をしかめた。

「痛むの?先生を呼ぼう」

僕は、呼出ボタンを押そうとしたが、静稀に止められた。

「もう少しだけ、高遠を抱いていたいの。ちょっとだけ、待って。」

静稀はそう言って、僕の肩にもたれて目を閉じた。

「ただいま……セルジュ……」

静稀の呼吸は、そこで途切れた。
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