お帰り、僕のフェアリー
フェアリー降臨
ああ、なるほどね。
このコーナーの最上段は、確かフランス文学の英訳書と原書が少し置かれていたはず。
ほとんど誰も手に取るもののいない本たちは、いずれも日本語よりも小さな文字でその題名を背表紙に刻まれている。
図書館の中でもとりわけ暗いこの一角でフランス語の背表紙を読むのは大変だろう。

彼女が天窓を覆ったカーテンを少し開いたことに気づき、もう一度僕は彼女を見上げた。
少し首をかしげて背表紙を見つめていた彼女が、不意に振り向き、僕を見下ろす。
綺麗だ。
他に人が来ると思っていなかったのだろう。
驚いた様子の彼女に、僕は軽く会釈すると、踵を返した。

この図書館には、だいたい2週間に1度は訪れている。
亡き母がフランス人だったのと、僕自身もcollège(中学校)卒業までフランスにいたこともあり、フランス文学の書架には必ず立ち寄る癖がついている。
ほとんど誰も借りていないので、当然、新しい本も入らないのだが。

しかし、今日は珍しいこともあるものだ。
美しいとも、可愛いとも言えるが、何か表現し足りない。
夢か幻のように、はかなげな乙女だったな。

「あれ~!?何かイイ本あった?セルジュ、うれしそう!」
急に現実に引き戻される。
由未(ゆみ)が数冊の本を小脇に抱えて近づいてきた。

「しっ。図書館で大きな声出すんじゃないよ。」

僕の小言を聞き流し、由未は僕の手の中の本を覗きこむ。
「うわっ。また、わけわからん横文字……よくこんなんばっかり見つけてくるねえ。」

受験英語しか習わない高校生の由未にとっては、フランス語もラテン語もドイツ語もすべてが横文字でしかない。

僕の家に下宿する2年間で、由未にsavoir-vivre (礼儀作法)を少しでも教えてほしい、と、僕の親友でもある由未の兄と、そのご両親にお願いされているのだが……なかなか捗らないまま、そろそろ1年が過ぎる。
いつものように、屈託のない由未の笑顔に釣られて、僕は苦笑するしかなかった。

貸出カウンターに並び、本を借りる手続きをする。
閉架図書を出してもらっていると、由未が僕のシャツの裾を引っ張った。
生地が伸びるし、手垢がつくからやめてくれ!と、何度も言っているのだが。

「セルジュ。アラゴンの詩集って、持ってる?フランス語の。」
由未が背伸びして、僕の耳元でそう尋ねてきた。

「あるよ。エルザ関係も『フランスの起床ラッパ』も。由未にしては珍しいね。でも、うちには原書しかないから、ここで日本語訳書を、」

僕の言葉を最後まで聞かず、由未は隣のカウンターの会話に割って入った。
「あの、うちにあるので、よろしければお貸ししますよ?」

貸す?誰が?誰に?
何を言ってるんだ?

驚いて横を見ると、由未の向こうに綺麗なお嬢さんがいた。
先ほど梯子の上にいた妖精のような彼女だ。
肢体や顔も美しいが、姿勢がとてもいい。

「え!でも!そんな、見ず知らずのかたに、貴重な本を……」
可憐な姿によく似合う、かわいい声だ。

戸惑う彼女の様子に、僕は自分の頬がほころぶのを感じた。
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