好きも嫌いも冷静に


結局、伊織は、それ以上何も聞かず、ご馳走様と帰って行った。まあ、人の…男の惚気なんて聞きたくもなけりゃ、見たくもないか。

そろそろ店も終い時間だ。
残ったスタッフに声を掛け、CLOSEDの札を提げた。
片付けを済ませ、明かりを落とした。

思えば、俺は何でカフェなんか始めたんだっけ…。
昔の記憶を辿れば、行き着くところは決まっていた。
俺は昔から料理が好きだった。姉貴達にせがまれて、お菓子まで作るようになっていた。
……あの日、抹茶と栗のパウンドケーキを作った日は、環さんが遊びに来ていた。
ミルクティーと一緒に姉貴が出し、環さんが凄く美味しいと言っていた、と。後で聞いた。
あの頃だな、俺の道は決まったようなものだった。

はぁ…そろそろ行くか。
手土産にパウンドケーキを持参する事にした。
誘われてるところに行くなんて…何だか、こっぱずかしいな…。

蕪ら屋…。ふぅ、あっという間だな、もう着いちまったか…。ど緊張だな…。ふぅ。
店がまだ開いているから、店から入るか…。

ガラガラガラッ。

「あ、英君、いらっしゃい。さ、入って。
丁度お店、終うところだから」

「はい」

環さんは俺の横を小走りで通り過ぎ、暖簾を入れるとグラス戸をの内鍵を掛けた。

「ねえ?何か良い香りがする…。もしかしてケーキ?」

鼻をクンクンしている。俺の手元を見た。
「それだ」

「ああ、うん。これ、俺の店のです。環さんにと思って」

「有難う。パウンドケーキね。これ好きよ?」

渡すと箱の持ち手を広げ、中を確認して嬉しそうに微笑んだ。この表情…昔から変わらない。この顔、好きだ。…あ、黄昏てる場合じゃなかった。

「…良かった」

「さあ、部屋の方に行きましょ」

ここじゃないんだ。
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