君に贈るエピローグ
秘密の日課3
その日は校庭に面した硝子張りのテラスで、美奈子と優衣と博美、それに私の四人で昼食をとった。
「ねぇ、優衣、最近、輝君とケンカでもしてるの?」
博美が優衣に尋ねた。
「そう、ケンカしてるの!」
「何でよ?」
「だって輝ったら、この間、ラグビーの部活の最中、一年の女子と親しそうに喋ってるんだもん」
「一年の女子って、あのマネージャーの子?」
「そう、山川愛!」
「もう名前まで知ってるのね。マネージャーじゃ、そりゃ、話しくらいするんじやない」
私は熱々のミネストローネを口に流し入れながら言った。
「でも、何だかイチャイチャしちゃってさ。あんまり腹が立ったから、それから口聞いてない」
「輝君、優衣のこと、気にしてたよ。最近、様子がおかしいから、博美ちゃん、それとなしに聞いてくれないかって。今日、バレンタインデーじゃない、チョコレート渡さないの?」
「渡さない!」
「せっかく仲直りできる、いいチャンスなのに…」
「いいの!」
優衣と輝は一年の頃からずっと付き合っている。私達四人の中で、唯一の彼氏持ちだ。
「そういえば、最近、輝君の部活のない日も、別々に帰ってるよね。何で?あんなに仲良かったのに…こっちは、彼氏がいるだけでも羨ましいのにさ」
美奈子が椅子にもたれ掛かり、しぼんだ声で言った。
「倦怠期ってやつかな?」
「倦怠期?」
「ほら、うちら一年の時からずっと付き合ってるじゃん。お互いの家族も知ってるし、いずれは結婚するんだろうしさぁ。たまには、こういうのもアリよ」
優衣はポニーテールにした髪をいじりながら、フルーツの苺を食べた。
「結婚かぁ…いいな、優衣は」
美奈子はまったく手をつけていないミネストローネを、スプーンでかき混ぜている。いつもの威勢の良さはなく、給食をほとんど残していた。
「それより、美奈子どうしたの?給食、全然食べてないじゃない?」
「うん、ちょっと食欲なくってさぁ…」
「どこか悪いの?」
良く気の付く博美が、身を乗り出して聞いた。
「ううん、大したことないって」

昼食を終えると、四人そろって教室に戻った。手洗い場で歯磨きを終えると、私は先に席に戻っていた美奈子に声を掛けた。
「美奈子、給食残してたけど、大丈夫?」
「うん。どうしよう、凛子。緊張してきちゃった…」
「大丈夫よ。今から渡してくるからね、すぐに戻るから」
「お願い、凛子…」
「分かった、じゃあ、行ってくる」
私は小声でそう言うと、マフラーの入った紙袋を持って屋上に向かった。
屋上は普段から立ち入り禁止になっていたが、立派な校庭のある学校だから、わざわざ何もない屋上へくる生徒はめったにいない。
輝と優衣の喧嘩話でことのほか時間を取られてしまった私は、急いで階段を駆け上がった。
明彦はずいぶん早くから待っていたらしく、
「遅いぞ!何だよ、人を呼び出しておいて」
と、屋上のボイラーにもたれ掛かり、珍しく少し苛立った口調でそう言った。
「ごめんね、みんなで給食を食べてたら、優衣と輝君の話に花が咲いちゃって…」
「矢沢さんと輝のことか。輝、俺にも相談してきたよ」
「そう、でもあのふたりなら心配しなくても大丈夫よ。そのうち仲直りするに決まってるもの。それよりも、これ…」
私はスカートの後ろに隠していた紙袋を、明彦の目の前に差し出した。
「何だよ、これ?」
「美奈子から渡してって、頼まれたの。明彦へのバレンタインプレゼントだって。じゃあ、渡したからもう行くね。待たせちゃって、ごめん」
そう言って後ろを振り向いた瞬間、右腕を掴まれた。
「ちょっと。何…?」
「いいから、こっちきて」
私は明彦に引きずられるようにして、屋上の端まで連れて行かれた。
「そのまま、顔を上げてごらん」
明彦に言われるまま、私は天を仰いだ。
そこには手を伸ばせば届きそうなほどの、真っ青な空が一面に広がっていた。
キャンバスを青一色の絵の具で塗りつぶしたような青空。その所々に塗り残した跡のように浮かぶ白い雲。
「わぁっ…」
「なっ、凄いだろ。ここで夜星を見たら、最高だと思わないか?」
「うん、きっと凄くきれいだろうね」
空は限りなく近く、今にも全身が吸い込まれてしまいそうだった。
「今度さぁ、こっそり忍び込んで、ここで星を見よう」
「うん」
美奈子のプレゼントのことなど、頭の中から消え去っていた。ものの数分足らずだったが、その時間は永遠のように長く感じられた。
ふと我に帰り腕時計に目をやると、次の授業の数分前だった。
「わぁっ、もうこんな時間!私、戻らなくちゃ」
「わざわざこのために呼び出してくれたのか。有難うな、凛子!」
「ううん」
私は走りながら振り返った。
「ちゃんと美奈子に返事してあげてよね。毎日、寝ないで編んでたんだから」
明彦はまっすぐにこちらを見て、深く頷いた。

急いで教室に戻ると、窓際の手すりに肘を突き、落ち着かない様子で、校庭を眺める美奈子の姿があった。
「もう、遅い!凛子」
「ごめん、だって山口君、なかなかこないんだもの…」
私は小さな嘘を吐いた。
「ねぇ、それで反応はどうだった?」
「どうだった…って、凄く喜んでたよ。ちゃんと返事をしてあげてねって、言っておいたから」
「どうしよう…ついに、渡しちゃったよぉ」
「美奈子ったら。渡したのは私でしょう、今さら何言ってるの」
視界の片隅に何食わぬ顔で、教室に戻ってきた明彦の姿が見えた。
「ちょっとぉ、山口君、戻ってきた…マジ、緊張する」
「私は役目は果たしたからね。後は美奈子が自分で頑張りなさい」

その翌日も土手へは私の方が先に着いていた。美奈子が明彦にプレゼントしたマフラーのことが、妙に心の片隅に引っ掛かり今朝は本を読む心境などではなかった。
美奈子は一体どんな手紙を書いたんだろう…?
明彦は美奈子の編んだマフラーをしてくるのだろうか…?
そんなことばかりが頭をよぎった。私は芝生の上に寝転ぶと、雲ひとつない空を眺めた。
「おはよう、今日もいい天気だな!」
いつの間にか明彦が横にやってきた。明彦は鞄と一緒に、美奈子からのプレゼントのマフラーを持っていた。
「おはよう、明彦。マフラーしてないの?」
「ほら、今日、暖かいだろ。汗かいちゃってさ」
それはまるで言い訳のように聞こえた。
「教室に入る時には、ちゃんとして行くよ」
明彦は私に責められていると感じたのか、そんな言い方をした。
「うん、ちゃんとしてあげてよね。それと、お礼と返事も早くね。美奈子、ああ見えて、物凄くナイーブなんだから。昨日も緊張のし過ぎで、ほとんど給食残してたんだから」
実際にそうだった。美奈子は普段、強がっているけれど、本当はとても繊細な女の子だった。
「分かったよ、それよりさ、これ」
明彦は一冊の本を鞄から取り出した。
「こういうの、凛子、好きかと思ってさ。尾崎の遺作詩集、読む?」
「尾崎豊って、詩も書いてるの?」
「うん、小説なんかも書いていて、何冊か著書があるんだ」
「そうなの、有難う。じゃあ、借りるね。ねぇ、明彦って兄弟はいるの?」
「俺は一人っ子だよ、凛子は?」
「私は六つ離れた弟がひとりいるわ。小学生のくせに、生意気でね。私のこと、凛子って呼び捨てにするの」
「弟か…今度、会ってみたいな」
「あいつで良ければ、いつでもどうぞ。それより、明日の日曜日、何か予定ある?プラネタリウム調べたんだけど、やっぱり学習センターの中にあったわ」
「そうか。多分、大丈夫だけど一応、今晩メールするよ」

その晩、風呂から上がると自室で、今朝、明彦に借りたばかりの詩集を開いた。その時ちょうど、鞄の中で携帯電話の着信音が鳴った。見ると明彦からのメールだった。

凛子へ
明日、プラネタリウム、オッケーです。

絵文字も何もない、たった一行だけの文章だった。私はすぐに返信をした。

明彦へ
了解です。十時が一番早い時間だけど、大丈夫ですか?九時半に学園前駅で待ち合わせはどうですか?

凛子へ
オッケー。俺も久しぶりなので、凄く楽しみにしているよ。じゃあ、九時半に学園前で。

明彦へ
今ちょうど、明彦から借りた尾崎の詩集を読み始めました。明日は私も楽しみにしています。では、おやすみなさい。

明彦とのメールのやり取りを終えると、私はふたたび、詩集に目を戻した。
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