罪深き甘い囁き
罪深き甘い囁き
耳を疑った。
幻聴かと思った。
資料を抱えてエレベーターを待っていた私の耳に届いたのは、忘れ去ったはずの、忘れなくてはならない人の、「南」と私を呼ぶ声だった。
……どうしてここに?
驚きで何も言えなかった。
それもそのはず。
遠く離れた地に栄転したはずなのだから。
永住権を取得して、もう帰って来ないと聞いていたのだから。
少し日焼けした肌。
精悍な顔つき。
2年ぶりに会った元彼の出現に、鼓動は加速するばかり。
「いつ帰ったの?」
平静を装った言葉に響は昨日だと答えて、柔和な笑みを浮かべた。
止まったエレベーターは空の状態。
二人きりで乗ることを躊躇っていると、響に手を取られて強引に乗せられてしまった。
下降を始めるエレベーター。
「私、最上階なの」
ボタンを押そうとした手は響に阻まれ、そのまま手中に収められた。
至近距離で真っ直ぐに見つめられて、思わず息を飲む。
「原と付き合ってるんだって?」
響は私の左手を持ち上げると、薬指に光るリングを見て悲しく笑った。
原くんにもらった指輪だった。
どうして、そんな辛そうな顔をするの?
別れを告げたのは、響の方なのに。
軽いノリで「バイバイ」、即日飛び立ってしまったくせに。
その上、あっちでさっさと結婚。
今更、私の前に現れるなんて。