カフェ・ブレイク
なっちゃんはハッとしたように、口をおさえて、それから恥ずかしそうに言った。
「すみません。業界用語みたいなものです。一般的な言葉じゃないです。ご存じなくて当然です。」

そして、蚊の鳴くような声で言った。

「デュエットダンスです。男役さんが黒燕尾で娘役がまとめ髪に白いドレスが一番好きなんです。美しくて。」

……ああ!そうか!
タカラヅカ!
なっちゃん、そーゆーのが好きなんだ。
知らなかったな。
……いや、知ろうとしなかったのか。

実は、なっちゃんが何を好きとか、嫌いとか、俺はまったく知らないことに、今さらながら気づいた。
少し、申しわけなく感じた。

「そうでしたか。お美しいでしょうね。写真、また見せてくださいね。」
営業トークではなく、心からそう言った。




最後の夜は、とっておきのシャンパンを開けた。
8年前に作られた、テタンジェ・コント・ド・シャンパーニュ・ブラン・ド・ブラン。

「美味しい……章さんから、また美味しいお酒を教わってしまったわ。私、もう一生、発泡酒とか飲めなくなりそう。」
夢見心地でそう言ったなっちゃん苦笑した。

「発泡酒なんか飲まなくていいよ。酔いたいなら旨い蒸留酒。本物をちゃんと選ぶんだよ。」
……まあ、結婚を控えた女性に酔いたいなら、なんて、よけいなお世話なんだろうけど……
 
「章さん以外の人を愛せない、とは思ってないから。ちゃんと、想いを遂げたら、次に行けるはず。……だから、心配しないで。」
行為の後、汗だくになった身体をタオルで拭きながら、なっちゃんがそう言った。

「……心配してるように、見えた?」
なるべく見せないようにしてるつもりだったんだけど。

なっちゃんは曖昧にうなずいた。
「何となく。……いつもより、優しいから。」

……いつも俺、どれだけ酷いんだよ。

「旦那は、優しい人?」
なっちゃんは、泣きそうな顔で、それでもしっかりとうなずいた。

「……そう。幸せになりなよ。」
言葉が空回りしてる。

「うん。章さんも……振り向いてもらえたらいいね。」
「俺のことはほっといてくれる?」

イラッとして、なっちゃんを再びベッドに押し付けた。

……せっかく優しい気持ちで終われるはずだったのに、俺は結局、最後の最後まで荒々しく抱いてしまった。

最悪だ。
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