うそつきハムスターの恋人
ネルシャツにダウンベスト、それにチノパンというカジュアルな服装の夏生と電車に揺られて向かったのは、電車の沿線沿いにあるメイズの店舗だった。
電車から見えるから、あるのは知っていたけど、入ったのは始めてだ。

客席のすみの席に座った夏生はアメリカンコーヒーをゆっくり飲んだ。

「来たかった場所ってここ?」

私は小声で尋ねると、夏生はうなづいた。

「この店の担当スーパーバイザーが、すごくいい店だって言うから、一度来てみたかったんだ」

「そうなんだ」

私は温かいカフェラテにそっと口をつけた。
白いコーヒーカップとソーサー、それに添えられた銀色のスプーンに、ダウンライトのやわらかい光が反射して鈍く光る。

茶色の丸い小さなテーブルは古いけれどよく手入れがされてあって、きれいだった。
すぐ隣の席ではお年寄りのお客様がにこやかにおしゃべりをしていた。

この店は似てる。
私が働いていたあの店に。

一瞬、胸が苦しくなって目を閉じる。

「やっぱりさぁ、俺たちが来たら店のスタッフって緊張するの?」

「え?」

目を開けると、 夏生が少し首をかしげて私を見ていた。

「メイズでバイトしてたって言ってただろ? しずく」

「あ……うん。緊張するよ。見られてるって思うと余計にミスったりするし、Cランクとかつけられたら結構落ち込んでたよ、みんな」

スーパーバイザーがつけるSVチェックシートは店内の清潔さや商品の提供時間、温度、味、見た目、スタッフの接客態度など三十課目それぞれに、一から五点の点数がつけられ、その合計点でAからEランクまでの評価がつくのだ。

「でも、次の月にAとかA+とかになったら、すごく嬉しかった。スーパーバイザーがきちんと評価してくれてるのはみんなわかってると思う」

「それ聞いたらなんか安心した」

夏生は微笑んでアメリカンコーヒーに口をつけた。

「チェックにいくときはなるべく目立たないように、行ってるつもりなんだけどさ。普段通りのほうが、スタッフもいきいきしてるし。それでも、俺が行くことでスタッフがストレスを感じていたら嫌だなってずっと思ってたんだ」

伝説のスーパーバイザーなんて呼ばれている理由がわかった気がした。
売り上げをただ伸ばすからだけじゃない。
夏生は、こんなにもメイズが好きで、こんなにも真剣に店舗のスタッフと向き合っているから、そう呼ばれているんだ。

「俺が店長してた頃、しずくがバイトだったら面白かっただろうな」

想像してみたのだろうか。
夏生はおかしそうに笑って言った。

「夏生が店長なんて、絶対やだ」

言い返しながら、メイズで働いていた時のことを思い出していた。

< 49 / 110 >

この作品をシェア

pagetop