Which one?
定時を過ぎ、パラパラと社員が帰って行く。

残業確定の私は、デスクにかじりつくようにして仕事を続けていた。
そんなとき、人の気配が近づいてきた気がして手を止める。

「美里さん。ボク、帰れって言われてるんで……」
「ああ、うん。お疲れ様」

ちらっとしか目を向けずに、淡々と答える。

なんとなく、紺野がしゅんとしてるような気がしてしまうけど、ここで気に掛けてしまったら私の負けだ。

そんな勝手な都合で素っ気なく紺野をあしらうと、彼は一歩足を進めたところで再び足を止めた。

「でも、いつでも呼んでください。美里さんの言うことは、ボクにとって絶対ですから」

紺野は、いつもと違って、真面目な声色でそれだけ独り言のようにぽつりと漏らす。そして、そのまま部屋を出て行ってしまった。

紺野がいなくなったのがわかって顔を上げると、いつの間にか部屋には私だけ。
がらんとしたオフィスを茫然と見つめ、紺野の言葉を反芻する。

「……なに言ってんだか」

私だけじゃなくて、社内の女子社員みんなに同じこと言って回ってるんでしょ?
確かにいつも忠実に動いてくれるけど。それは別に私の時だけってことじゃないの知ってるし。

それでも、毎朝あの笑顔で迎え入れられると許しちゃうとこ……あるんだよなぁ。

紺野も帰ってからしばらくの間、時折そんなことを無意識に考えてしまう。

「ワンコ系? 人徳だよね、ある意味」

ひとりきりで笑いを零すと、突然頬に熱を感じ、慌てて顔を上げた。

「お疲れ」
「ふ、布川さん……!」

目の前に差し出されたホットココアの缶。
それを受け取りながら、跳ねあがった心臓をひそかに鎮めさせる。

「あ、びっくりしました。会議かなんかだと思ってたので」

私だけに仕事を与えて帰るような人じゃないとはわかってたけど、不意打ちの登場には心の準備をしてなかった。

「あいつがいなくて、淋しい?」
「はっ? べ、別にそんなことは……!」

突然言われたことに驚嘆し、声が上ずってしまう。

私だけがあからさまに動揺をしている最中、布川さんはいつもと変わらないように見えた。

……けど。
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