身代わり王妃の恋愛録

セレストに来て初めて、ちゃんとしたドレスを着たなぁ、なんてそんなことを思った。

時刻は正午。

さすがに寝ていられなくなって起きたのは10時半を回ってからだった。

それから私は遅い朝食をとった後にこうしてドレスに身を包んで陛下とともに広間に来ていた。

本番用ではないけれど、それでもコルセットは私のお腹をぎゅーぎゅーに締めているし、私の好みではないふんわりした裾は私が歩くたびにふわふわと揺れている。

そんなお姫様ちっくなドレスを着て、私は陛下と向き合っていた。

陛下はいつもよりフォーマルな漆黒の服に身を包んでいる。もちろん本番用じゃあないのだけど、それでも陛下が羽織る裾の長いコートは陛下が動くたび風に靡いてかなり絵になる。

いつもは左目を覆う前髪は後ろになでつけられていて泣きぼくろが姿を露わにしている。

さながら物語の世界から抜け出た英雄といったところか。とてつもなく綺麗だ。

私はきちんとお姫様に見えているのだろうか。そんなことを思うほどに陛下の姿は絵になっていて、私なんかが隣に立つのは烏滸がましい気がするのだ。

「…き、綺麗デスネ、陛下…?」

自分でもびっくりするほどに声が震えた。思わず口元を押さえる私とは対照的に、陛下は困ったように笑って静かに言う。

「その言葉、そっくりそのままお前に返す」

頬が熱を帯びるのをはっきり感じた。頭から湯気が上っているのではないかと心配になるほどに頬が熱い。

「そういうのも、悪くない」

照れ屋なくせに。普段はすましてるくせに。

なんでこういうときばっかりこんな余裕そうな笑みを浮かべて私を優しく見つめるの。

心臓がまるで存在を主張するかのように騒ぎ立てる。あまりのうるささに顔を俯けた瞬間、踊るぞ、と優しい声が響いた。と同時に陛下の腕が私の腰に回る。

「きちんと、覚えているか?」

耳元で囁かれるちょっとした挑発。それに対して、私はできるだけ余裕の笑みを浮かべて静かに答える。

「当然。社交界も貴族も大嫌いだけれど、ダンスだけは嫌いじゃないの」

社交界も貴族も王族も…いつもならそう言っていたに違いない。無意識に「王家」の言葉を飲み込んだのはきっと陛下に軽蔑して欲しくないから。

ご令嬢達みたいに好きな人に好かれるべく自分を偽るなんて最悪だ。

そうは思っても私は陛下が好きだし、すでに陛下とは密着していて、どこからか流れる音楽の音に合わせにステップを踏んでいる。

自己嫌悪から顔を俯けることも掛布にくるまることもできない。

「…大丈夫か?」

何かを察した陛下が静かに耳元で囁く。今この広間には私たち以外にも人がいる。いくら陛下でも踊りながらピアノを弾くこともバイオリンを弾くことも叶わないからだ。

そう、だからこれは演技。わかってる。

けれどやっぱりずるい。私のちょっとした気持ちの機微をこんなにもすぐに察知してくれて、声をかけてくれて。陛下の言動ひとつひとつに私はこんなにもドキドキさせられているんだから。

だから良いよね。

そんなことを心の中で思って。

私は困ったように微笑む。

「ご心配おかけして申し訳ありません。大丈夫です。…陛下があまりにも素敵で、ドキドキしてしまいましたの」

陛下が照れたのが分かった。一瞬戸惑ったように目を見開いた後、困ったように笑っていたから。

「…先ほども言っただろう。それはこちらの台詞だ」

ああ、やっぱり敵わない。この偽装結婚生活が終わるまで私の心はこの人に振り回されるんだ、そんなことを思った。

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