アルチュール・ド・リッシモン

領地の裁判

 それから約3年程、アルチュール・ド・リッシモンは大人しくヘンリー5世の傍にいた。
 「人質らしく」と言えばそうなのだろうが、常にヘンリー5世の傍に居て、彼の威厳と軍の動かし方を見ていたことは損になるどころか、フランスに戻った時に大いに役立つことになるのだが、この時は当の本人さえもそこまで自覚は無かった。

 1417年6月、断片的に自由を得たアルチュールは、兄ジャン5世を代理人としてフランス王室とジャン・ラルシュヴィックを相手に訴訟を起こす。
 アルチュールからすれば、兄のジャン5世が身代金を払おうとしてくれているにもかかわらず、ヘンリー5世が離そうとしないので、せめて収入だけでも得られるように、との思いからであった。
 そこには、ずっと片思いしている相手のマルグリット・ド・ブルゴーニュことギュイエンヌ公夫人が、夫と2年前に死別していたので、彼女を振り向かせる為に色々プレゼントしたい、という思いがあったのかもしれない。
 その裁判には、後にシャルル7世を名乗る王太子シャルルも若干15歳の若さながら出席した。
 が、結果はアルチュールに非常に厳しいものであった。ボルドーとナントの中間の海辺の町、シャトライヨンの荘園だけかrネオもので、他の領地はフランス王家に没収されてしまったので。ジャン・ラルシュヴィックに盗られてしまった領地さえも。

「なんてことだ! これでは収入を得るどころか、減ってしまっただけではないか! あの淫乱王妃が散財しておるツケを、何故この私が払わねばならんのだ!」
 アルチュール・ド・リッシモンはそう言うと、傍にあった机をドンと叩いた。
 彼の言う「淫乱王妃」とは、現国王シャルル6世の妃、イザボー・ド・パヴィエールのことであった。彼女は最近、マルグリットの父、ジャン無畏公ともデキているという噂であった。権力さえあれば、もう相手は誰でもいいようで。
「あの淫乱女、許せん!」
 最愛の女性マルグリット・ド・ブルゴーニュを息子に言って田舎に送ったことといい、今回の領地没収といい、アルチュールの怒りは彼女に真っ直ぐ向かって行ったのだった。

「ふふ……。アーサーがそのような反応をな。ふん、これであやつのフランスへの忠誠もなくなろうて」
 アルチュール・ド・リッシモンがフランス王家への不満をぶちまけていると報告を受けると、さほどとの詩の変わらないヘンリー5世はそう言ってにやりとした。
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