桜の木の下に【完】
『ののや、おかえり。学校はどうじゃった?』
それがお祖父ちゃんの口癖だった。
今思えば、お祖父ちゃんも幻獣を操るための学校に行っていたから、普通の学校がどういうところなのかを知らなくて、毎日確認していたのかもしれない。
いや、お祖父ちゃんが子供の頃は学校なんてなかったかもしれない。もしかしたら、戦争をしていた時代を生き抜いた人だったのかもしれない。
何にせよ、お祖父ちゃんは私の話を聞いてくれる存在だった。
『今日の体育で、初めて逆上がりできるようになったんだよ!明日見せてあげるね!』
『ほほう、逆上がりか。わしは三つのときにはもうできておったわい!』
『それはお祖父ちゃんが男の子だからだよ!女の子はか弱いの!』
『か弱いとな?ワッハッハ!そうか、ののはか弱いを知っておるのか。ののは物知りじゃのう』
『えっへん!』
口を開けばなかなか止まらなかった私の幼少期。学校で見て学び知ったことを全てお祖父ちゃんに話していた。
いつも元気だったお祖父ちゃん。
お祖父ちゃんとお父ちゃん、私の三人と、お手伝いさんが大勢いる家で賑やかに暮らしていた。その中でも、お祖父ちゃんが一番元気だったような気がする。
でも、お仏壇の前では少し元気のない背中をしていた。
年相応に背中を丸め、声もどこか弱々しかった。
『カツ子や、ののは逆上がりができるようになったとはしゃいでおるよ』
手を合わせ、いつも口にするのは私の話だった。
優しい声だった。
本人からは隠れて、その日課を盗み見ていた。
『聡子(さとこ)が死んでもう七年も経とうとしておる。カツ子も娘の顔も孫の顔もろくに知らずにいるのじゃなあ……』
そして、決まって私はお祖父ちゃんの声が震え出した頃にそっとその場から去る。
そして、ふすまの隙間をもう一度振り返ることはせず、真っ直ぐに自分の部屋に戻って宿題をするために鉛筆を握るのだ。
カツ子という名前のお祖母ちゃん、聡子という名前のお母ちゃん。どちらも知らない人だけど、確かに私と関係がある人たち。
お仏壇の写真を見たことがあるけど、雲の上の人なのだと思うと何も感じなくて、一度見に行ったきりその部屋に入ることはなかった。
写真に映っている二人はよく似ているけど、私は全然似ていなかったから……知らない人だから。
そんなお祖父ちゃんの座っている隣は、いつも妙にあいていた。真っ正面には座らず、少しずれた位置に座っていた。
たぶん、あそこはお祖父ちゃんの幻獣が座っていたのだ。幻獣も二人の死を見ていたに違いない。
でもその幻獣は私を狙っているという。