桜の木の下に【完】

*

その日の夜、先にお風呂に入った私はなかなか寝付けずにいた。

幻獣のこと、お祖父ちゃんのこと、お父ちゃんのこと、家にいたお手伝いさんたち……

私の知らないところで今何が起こっているのかがわからなくて、底知れない闇を見ようと目を凝らしても何も見えないのはわかっていた。

気づけば、悶々と考えていたから目が冴えてしまっていた。

最初にいた部屋が私の部屋で、そこの可愛らしいベッドはあまりにもよそよそしく感じられ、大きくて、なんだか寒かった。

ごろごろと何度も寝返りを打っている。


「眠れない……」


ベッドからそっと足を出し、ドアを静かに開けてゆっくりと廊下を歩いた。

さっきは階段を下りたけど、上にも続いているようだから今度は上ってみよう。

三人の部屋がどこにあるかを教えてもらうのを忘れたけど、きっと皆寝てるはずだから、見つかる心配もない。

見つかったら怒られるに決まってる。

階段を上りきったところで、右と左に道がわかれていた。どちらに行っても意味はないと思って、適当に右に進んだ。

曲がり角を曲がると、ガラス張りのバルコニーが見えた。

さすがは豪邸……と思いながら外に出ると、ちょうど月が見えた。一際光っているあの星は金星かな。

明るい街のせいでよく見えないけど、そのネオンの光も星に見えてこれはこれでいいか、と受け入れた。

ぼーっと、バルコニーのフェンスに腕を乗せてその風景を眺める。

しばらくして、ふっと肩にパーカーを被せられた。ビックリしすぎて声も出せずに固まっていると、隣に誰かが来る気配がした。

ロボットのようにカクカクと首を動かして隣を見ると、私と同じようにフェンスに片腕を乗せた悠斗さんが立っていた。


「風邪を引く」


風で僅かにずれたパーカーを腕を伸ばして直した。

その近さに思わず顔をそらし、ネオンを眺めるふりをした。でも、全神経は悠斗さんに向けられている。


「………眠れないのか」


彼の言葉に私は小さく頷いた。

はあ、とため息が聞こえる。


「なら、せめて上着を着ろ。春とは言え夜はまだ涼しい」

「……うっ…あの、」

「なんだ」

「今、ここに幻獣はいますか…?」

「いる。ずっとおまえの側にいた」

「見えないというのは、寂しいですね…」

「知っているだけでも違うものだ」


どうやら彼は私の話相手をしてくれるらしい。

自分の肩よりも大きなパーカーをぎゅっと握り締めた。何かを求める代わりに。


「お祖父ちゃんのこと、悠斗さんは何か知ってますか?ずっと一緒にいたっていうのに、何も知らなかったことにさっき気づいて…なんでもっと知ろうとしなかったんだろうって」

「今さらだな」

「……」


ふっと鼻で笑われて私は落ち込んだ。

ガクッと頭を下げる。

でも、悠斗さんが本心から言った言葉ではないのはわかっていた。

さっきの言葉には温かさがあった。


「お祖父ちゃんが何歳か知ってますか?」

「79歳」

「じゃあ、戦争を知ってるんですね…」

「戦争を話すことはなかったが」

「会ったことあるんですか?」

「俺が柊家の当主だからな」


お祖父ちゃんに会ったことがあると聞いて驚いたけど、理由を聞いてそりゃそうだ、と納得した。

悠斗さんは一家を支えているんだ。


「悠斗さんは凄いですね…弟たちを支えて、力強く生きてる」

「凄いのかどうかはわからないが、二人を護るのは俺の役目だ。これが普通だ」

「普通、ですか…その一言で片付けられる悠斗さんはやっぱり凄いですよ」

「そろそろ寝たらどうだ?」

「眠れなくてここにいるんじゃないですか」


だんだん面倒になってきたのか、悠斗さんはぶっきらぼうな口調になってきた。私は駄々をこねるように拗ねる。

まだ誰かといたい気分だ。


「強制連行されるのと自分で行くのと、どちらかを選べ」

「強制連行って?」

「俺が部屋まで運んでやる」

「……失礼しました。おやすみなさい!」

「ふっ、素直だな」


彼の提案に私は顔を赤くさせ、パーカーを乱暴に投げつけるように渡すと脱兎の如くその場から逃げた。

温かさが消えて肌寒くなる。

急いで部屋に戻って頭から布団を被った。


「ビックリした…」


悠斗さんでもあんなことを言うんだ。

ベッドの中でため息を吐いている頃、悠斗さんはまだ温かいパーカーを握り締めていた。


「……何の用だ」


何もない宙を睨み付ける。


「まだおまえを信用したわけじゃない。下手な真似はやめるんだな。確信がない今、妙なことをすれば俺がおまえを消してやる」


彼の言葉を嘲笑うかのように、一際強い風が通りすぎていった。黒い髪がサラサラと揺れる。


「……クソッ、どうすればいいんだ」


悔しそうな表情だけが、その場に取り残された。
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