桜の木の下に【完】

*

少ししてハッと目を覚ますと、木の天井が見えた。荒々しい木目によって黒くて深い影ができている。

ゆっくりと身体を起こすと、そこは私の家だった。ザラザラとした畳の感触が妙にリアルだ。

でも、現実じゃない。

まだ夢の中だ。その証拠に、不気味な無音が私の耳を圧迫する。


「…ここは」


この部屋はお祖父ちゃんの部屋。

机と積まれた古びた本しかないシンプルな部屋だけど、ここにはたくさんの思い出がつまっているのだ。

無意識に視線を上げれば、僅かに開いた襖の奥に少しだけ仏壇が見えた。

仏壇…そう言えば、仏壇がある部屋はお祖父ちゃんの部屋の奥にあったんだっけ。

全く行っていなかったから忘れていた。

私は立ち上がり、そーっと襖を開けて隣の部屋に移った。隙間から見えた仏壇の前に立つ。

でも、写真がない。

変だな、二人がここにいたはずなのに。

お線香が何本がさしてあったけど、どれも火は消えていて短くなっているだけだった。

首を傾げていると、ふいに背筋がゾクッとして勢いよく振り向いた。

誰かの視線を感じた気がしたんだけど…後ろにあったのは壁にある掛け軸だけだった。

掛け軸の前には花瓶が置いてあって、鮮やかな桃色をした桜の咲いた枝が飾ってあった。

その花には、唯一、このモノクロの夢の世界で色があった。


「桜…」


その桜を見、掛け軸を見ると、さっきまでは掛け軸もモノクロだったのに、掛け軸にも色がついていた。

掛け軸は墨で描かれているからモノクロなのは当たり前なのに、今は色がある。

その掛け軸にも桜が描かれているようだった。

花瓶の桜と同じ、桃色の桜。

その太くて不格好な幹は焦げ茶色に染まっている……あれ、でも、なんか……

幹に同化するように、黒くて細長い何かが浮かび上がって見える。

畳に膝をついて顔を近づけてよく見ると、人影だとわかった。

歳も性別もわからないけど、短い髪をしたその人は、幹に背中を預けて横顔をこちらに向けていた。


「桜の、木の下……………」


まさかね、と思ってフッと鼻で笑う。

そんなことがあるはずない。


「さて、どうやって帰ろうか」


よいしょ、と膝に手をついて立ち上がった。

ここから出ようと掛け軸に背中を向けて歩き出そうとした瞬間、また感じる寒気。


「なに……?」

『……カナイ……デ…………』

「え?」


声を聞いた気がしてまた振り向くと、横を見ていたはずの小さな人影がこちらを見つめていた。

赤い、二つの目。


『マッ……テル………カラ………』


訴えかけるようなか細い声と、責めるような強い瞳。


『カナ………ラズ………見ツ、ケテ………』


そう言い終えると、赤い二つの目はパチンと閉じられてもとの黒い影に戻った。こうして見ると、横を見ているのか正面を向いているのかわからない。


「やっぱり……」


封印されているのだろうか、あそこに。
< 49 / 122 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop