専務と心中!
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その日は、むしろ穏やかな日だった。

前日入社したばかりの新入社員が各部署を見学と挨拶に回ってきたぐらいで、うららかな春の日射しが気持ちよい春の午後。

専務は、用事もないのに何度も社史編纂室に顔を出してくれた。

社内でいちゃつくのは私が嫌なので、適度な距離をキープしつつも、笑顔と信頼感で幸せに満たされた。

事態が急変したのは、午後14時過ぎ。
珍しく無断欠席をしていた椎木尾(しぎお)さんから社長宛の封書が届いた。

社長は会食からまだ帰ってらっしゃらなかったため、「親展」と書かれたその封書を、専務の指示で秘書課の課長が開封したそうだ。

……それが、椎木尾さんの遺書だった。

時を同じくして、警察からの連絡。
すぐに警察のヒトが何人もやってきて、社内は騒然とした。

私は何が起こっているのか知らされないままに、目つきの悪い刑事らしき捜査官に訊問された。

「秘書課主任の椎木尾吾一さんとトラブルがあったそうですが。」
「トラブルって……。2年おつきあいして、お互いに結婚対象になり得ないためにお別れしました。それだけです。」

本当にそれだけの認識だった。

「それだけ、ということはないでしょう?椎木尾さんがあなたに未練を残しているのに、あなたは会社の専務とおつきあいしているのでしょう?」

ズケズケとそんなことを指摘されて、質問の意図がわからない不安よりも、怒りが凌駕した。

「椎木尾さんには、私の他にも、おつきあいされてる女性がいらしたそうです。……私と専務とのことは関係ないでしょう?てか、何の取り調べなんですか?これ。」

刑事は、淡々と事実を述べた。
「椎木尾吾一さんが、横領の告白と自殺の意志を遺書にしたためて、姿を消しました。夕べ、ボートから琵琶湖に飛び込んだ形跡があります。椎木尾さんの身柄はまだ見つかっていません。」


……え?

なに?

なんのこと?

この人、いったい、何を言ってるんだろう。

意味がわからず、私はポカーンとしてしまった。

「横領を指示したのは専務だと示唆する文章がありました。……失恋から立ち直れない様子も記されてます。」

ますます意味がわからない。
わからないけど……違う。

私は、ふるふると、首を横に振った。

私の存在が、椎木尾さんを絶望させるほど大きいはずがない。

それに、専務が横領を指示なんか、するわけない!
有り得ない!
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