彼は誰時のブルース
曇天


 私の住む街は、いわゆるベットタウンだ。

 団地が並び人口も多い。最寄りから一駅二駅で都心に着くので交通の便もきく。最寄駅には駅ビルが入り、幹線道路を挟んだ"向こう側"には高級住宅街が並ぶ。


 "こちら側"は決定的に環境が悪い。

 遠くに見える工場の煙突からの煙、車の排気ガス。光化学スモッグ、ヒートアイランド現象。

  この近辺の土地が安いのもそのせいだ。立地的にも世間的にも、この近辺が、反対側の高級住宅街をそういう悪環境から守っている。

 近所の人たちは、そう揶揄されることを自虐する。でも他所に行くよりましだと思っている。むしろ他所に行くことを恐れている。

 私は小さい頃、年中鼻をすすって咳をしていた。軽い喘息持ちだったらしい。

 年がら年中鼻を垂らしてはティッシュを手放さない幼子には、決して良い環境と言えなかった。でも両親の間で決して引っ越そうという話は起こらなかった。

 何故なら、例に漏れず、我が家も社宅だからだ。

 他所がどうなのかは知らないけれど、この団地は、"格差社会"だ。

 母は言う。

「月一の奥様会には、絶対集まらないといけないの。上階に住んでる奥様方の機嫌良くないと、飛ばされちゃうかもしれないし…」


 ここは、両親の砦だ。

 平社員の父と、パート掛け持ちの母にとって、何より大事なものだ。

 会社の上司に嫌われず、疎まれず、役職昇進していくには。

 この平穏な暮らしを守る為には。

 この団地で生きていくしかない。


 だから私は、"人はみんな平等とは限らない"という事実に気付くのに、割と早い方だったと思う。


 奥様会のようにこの社宅には、子ども会というのがあった。

 社宅の子供が集まって、持ち寄ったお菓子を食べたり飲んだり。そんな会だった。

 主催者兼会場は、宇野さん宅だった。

 私が小学校に上がってすぐ、7歳だった時に、宇野さん一家は最上階に引っ越してきた。この団地で1番の重役のご一家だ。

 まだ小さい次男に、早く団地の子どもとの交流の場を作ってあげたかったらしい。

 奥様会で、宇野さん自身が提案したのだと、母が言っていた。


「はいこれ、お菓子」

 母は、初めて開催された子ども会の為に、腕によりをかけてお菓子を作った。

 色の分かれたクッキーと、低カロリーのクリームを使った甘めのシュークリームだった。

 ケーキ屋さんにも売っていそうなクオリティを見て、鼻高々だった。


「すごいね!ママ」

 私は、普段あまり遊ばない団地の子供たちに会えるのと、いつもは行けない最上階にエレベーターで行けることに、期待を高鳴らせていた。

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