彼は誰時のブルース

ー回想1






 コンプレックスは人並みにある。

 他人よりなにか秀でている、という自惚れも自信もない。周りが俺の何を褒め称えても。

 絶対、信じない。




 昔、母親がお膳立てした団地の子どもとの交流の場、子ども会があった。

 母の言う通りに、子供会に参加してお菓子を食べていたら、母がコップを取ろうとした女の子の手を叩いたのを見た。そしてそのコップは、俺に渡された。


 故意か、偶然か。

 そんなの近くにいればすぐにわかる。


 でもそんなの信じたくないだろう。自分の母親が、同年代のそれも女の子を理不尽な目に遭わせてるなんて。とっさに隣の子に話しかけて、見なかったふりをした。女の子から視線を感じたが、そっちを向く勇気はなかった。

ーーお皿の上のお菓子がなくなったら、ママクッキー出すから。言ってね、「甘いの食べたい」って。


 会の前にそう言われたので、頃合いを見つけてそう呟いた。

 そうしたら母親は嬉々として、キッチンに向かう。最後の仕上げに少し焼いているのか、中々母親は姿を見せない。

 正直、しょっぱいスナック菓子でお腹を膨らませていたので、母親のつくる甘ったるいお菓子は食べたくなかった。

 団地の子供達が食べてくれるといいけど。

 そんな中、突然、離れて座っていた女の子が空のお皿に手作りであろうお菓子をドサドサ置き始めた。


「これも、食べて」


 途端に歓声を上げる子供達。


「うわ、シュークリームだ!」「つむぎちゃんのお母さん、料理すっごいうまいんだぜ」

 その子供達の反応に笑顔になった女の子は、さっき俺の母親に手を叩かれた子だった。


「ヒロくんも食べなよ」

 隣の子に促されたが、手をつけていいものか逡巡した。

「う、うん」

 食べるのは憚られたが安堵した。彼女がしょぼくれて誰とも話さずにお菓子すら食べないでいたのをちらちら盗み見ていた。

つむぎ、という子なのか。

 いたたまれない気持ちがしていたから、とりあえず元気になってくれて良かったとそう思った。


 ふいに目が合った。黒目が大きく、垂れ目ぎみの二重。一瞬、微笑んでくれたような気がした。

 だが彼女は途端に、刺すような目に変わり俺を睨み始めた。ギクリとした。ああ、自分の母親がしたことは、本当だったんだと実感した。

 謝ろう、口を動かしたその時、彼女は目を逸らした。

 そして、ぎくっと怯えたような目をして固まった。


 なんだろう、その方向を見たら、自分の母親が丁度後ろを向いてキッチンに戻っていくところだった。


「ママ…?」


 その後、子ども会がお開きになるまで母親は自分の手作りクッキーを出さなかった。


 その夜のデザートは、甘ったるいそのクッキーだった。テレビを見ながらしかめっ面でそれを食べていると、母親は俺の隣に座った。


「ねえ、ヒロくん」

「なにママ」

「これからつむぎちゃんと仲良くしなくていいからね」


 それが初めての、母親からの命令だった。

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