恋風吹く春、朔月に眠る君


「えー、偶にはどうかなって」

「朔良の誘いなんて気持ち悪いから行かない」


そのやり取りを見ていたお母さんが楓を諫めるのを見ながら『鞄取って来るね』と言ってその場を離れた。


 自分の部屋に置いてある、よく使う鞄に物を入れる。最後にスマホを突っ込んで鞄横に置く。それからネックレスを手に取った。春休みも部活ばかりで私服を着ない私は殆どアクセサリーをつけない。出かける時ぐらいつけようと姿見を前につけた。

姿見で服装がおかしくないか確認して、鞄を手に取り階段を急いで下る。賑やかな声が聞こえるリビングの扉を開けると朔良が椅子から立ち上がった。


「楓行かないんだって」

「当たり前でしょ」


即座に言いきる楓に笑ってしまう。楓とお母さんに見送られて、家を出た。使い慣れた道を、二人並んで歩く。


 お花見と言っても毎年行くのは少し歩いたところの河川敷にある公園の桜だ。それでもとても綺麗で、ブルーシートを敷いてお花見をする人はたくさんいる。スポーツができる原っぱみたいなところがあるから子供の賑やかな声も聞こえる場所だ。


「今年も綺麗に咲いてるね」

「そうだね」


着いて早々出てきた感想は有り触れたものだった。けど心からの言葉には変わりない。皆が桜を見上げて、頬を綻ばせる。ここは暖かい空気に包まれていた。


「教えてもらったんだけどね、こうして桜を愛でる人たちのことを桜人って言うんだって」

「よく知ってるね。桜は綺麗な言葉がたくさんあるよ」

「それその人も言ってた。すごいね。二人とも詳しい」

「俺はそういうの好きだから知ってるだけだよ」


風が桜の間を優しく抜けていく。花弁がその風に連れていかれるように踊って、音を立てずに地面を撫でた。それがとても美しくてじっと見つめた。見慣れた色白の手が散ったばかりのその花弁に手を伸ばす。拾われた花弁は掌の上に置かれた。不意に通り過ぎた小さな小さな風でさえも花弁は攫われそうになる。それを大事そうに掌に置きなおして私に差し出した。


「楓も来ればよかったのにね」


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