きみと、春が降るこの場所で


雪は確かに舞っていたけれど、すぐに雨粒に変わった。


ガラスに残る雫の跡を指でなぞる詞織を窓から引っぺがすと、思いの外素直にベッドに座った。


床に膝立ちになって詞織を下から見上げる。


「なに考えてる」


無表情ではなかった。かといって、笑顔ではなくて。

涙はまだ出ていないけれど、泣きそうに歪んだ顔。


頬に指先を触れると、束の間に詞織の目から涙が零れ出す。

驚いて手を引っ込めた一瞬に詞織が俺の首に抱き着いた。


「さく、さく…」


泣いている。詞織が悲しくてか、辛くてか、わからないけれど、自分の事で涙を流している。


それは俺が見た事がないだけで、本当はいつも泣いていたのかもしれないけれど、今ここでこうして泣いている詞織を、どうしてやりたいか。


泣くなとは、言いたくない。

泣かせたくもないけれど、詞織が他の誰の前でも泣けないのなら、俺のそばで泣けばいい。


「こわい、だって、もう見れないかもしれない」


「うん」


「やだ、こわい、こわいよ」


「うん、怖いな」


どうして、こんな時に限って気の利いた言葉が出ないんだ。


大丈夫とか、そんな無責任な事は言えなくて。

だったら、なんて言えばいいんだよ。


どうしたら詞織は安心する?


俺の一生をやるとは、言えない。

だって、これから先も続いていくものだから。


詞織が俺にくれた一生は、頼りないけれど、大切なもので。詞織が俺だけに、くれたもので。


それと同じだけのものを賭けて、俺の一生をやるなんて、言えるか?


「さくと、一緒にいたいよ」


か細い声が揺れる。耳に届いて、消える。


消さないようにずっと覚えていたい詞織の声。


『一緒にいてあげる』ではなく『一緒にいたい』

近いようで、真反対のその意味が、今変わった。


詞織が一緒にいたいと望んでくれるなら。

俺も同じ事を望んでいるから、一緒にいよう。


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