藤の紫と初の幸せ

え、え、と慌てる私に女将さんは大仰に溜め息を吐いて、私の腕を引っ張ると掌を表にして見せた。


「怪我。してるじゃないの」

「あ……気付かなかった、です」

「若旦那様も困りものね。しっかり洗ってからにしなさい」

「……はい」


ね、と優しく手をさすった女将さんに素直に頷いて、水汲み場に急ぐ。桶に半分しないくらいの水を汲むと、小さな擦り傷に入り込んでいた土をしっかり洗い流した。


……困りものね、って。


確かに幸ちゃんは困りものだけど、きっとみんなの言う困りものと私の言う困りものは違うんだろうな、って。


もう十五で、私も幸ちゃんも結婚したっておかしくない歳だ。なのに私が一人で縁談が来ないのは幸ちゃんがいるからで、幸ちゃんのそういう話を聞いたことがないのもきっと私がいるからで。


大店の跡取り息子なんだから、落ち着いた方がいいのに。


私から突き放さないと、幸ちゃんはいつまでたってもこのままなのかもしれない。


新しく水を汲み直して、他の桶に水をうつすと掃除用の布きれを持ってきて水で硬く絞る。だーっと一直線に雑巾をかけ、大体四半時もあれば終わる場所。


お昼食べに来るって言ってたし、そろそろ幸ちゃん離れしないといけないのかもしれない。


そう思うとちょっとだけ胸が痛かった。私だって、なんだかんだずっと一緒の幸ちゃんといるのが一番楽しいんだ。だけどそれだけじゃいけないって、分かってるから。


分かってない幸ちゃんを突き放せるのは、私しかいない。


「あーいた、初! 行くぞ!」

「ちょっえ、待ってって幸ちゃん、」

「女将さーん、初借りるな!」

「はいはい、若旦那様」

「ちょっと幸ちゃん私仕事っ」

「お前は黙って着いてこい!」


――――そう、思っていたんだけどなあ。


「初、八幡様行くぞ!」

「なんでよっ」

「何でも! お前は着いてくればいいの!」

「ねえ幸ちゃんってば!」

「うるさいなー初は!」

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