わたしの朝
幼少期の期限
「母ちゃん、愛はあとどれくらいいきられる?」
小さいころ、よく聞いて困らせた。
私が交通事故に逢ったのは、生後半年の時。
それ以来、小児科と脳外科に同時にお世話になりながら、手術と入退院を繰り返した。
初めは自分の命の長さが知りたくて質問していた私も、年を重ねるにつれ、聞かなくなった。
同じ病室の子が亡くなる度に怖くて聞けなくなり、刹那的な考えに走った私はだんだんいつ死んでもいいと思うようになり、でもいつからか明るい見方ができるようになり、やっぱり寿命のことは聞かなくなった。
なにより、母ちゃんが「ごめんね」という顔をして困るのが悲しかった。
そんな風に私は、少しずつ人の気持ちを考えるようになり、自分の境遇を嘆くだけの虚しい生き方から脱することができた。
でも、気づいていなかった。
人の気持ちを考えることができるようになった私は、相手の気持ちを察するあまり、自分の闇にフタをしていたことを。
大人になろうと努力するあまり、自分で自分に嘘をつく癖がついていたことを。
苦しいことも、悲しいことも、つらいことも、淋しいことも、誰にも言わなかった。
人前では決して泣かず、気丈に振る舞った。
それが、私の思い付く最大の気遣いだった。
つらいことは、私だけで十分。
私が笑うことで、みんなが笑顔になるなら、どんな気持ちだって押し殺した。
私は、命が短い分、少しばかり早く大人になりすぎたのかもしれない。
だから、今こうして…。
幼いころにやるはずだった、私の中の“正しい幼少期”をやり直しているのかもしれない。
自分が聞きたかったことを聞き、やりたかったことをやり、時には駄々をこねるようにわがままになってみる。
人に嘘をつかないだけじゃなく、自分に嘘をつかない。
だけど、それをやるには少し遅すぎた。
やっぱり、物事にはふさわしい時というのがあって、今はもう私に幼少期をやる時間などないのだ。
20歳もすぎて、情けない。
私は私のまま、幼少期を飛ばしたまま、ずっとずっと背伸びをして、おりこうさんを演じていれば、周りは平和だったのだろうか。
虚勢を張って、強がりのまま。
それでもよかったのかもしれない。
きっと、ずっとその生き方を続けていれば違和感すら感じなかったのだろうから。
でも私は出逢ってしまったんだ。
この世で一番大切だと思える人に。
大好きと言える人に。
愛してると心から言える人に。
それで、思い出さずにはいられなかったんだ。
私の命には期限があることを。
彼に出逢って、初めて知った。
私が本当は弱さを持っていることも。
初めて、人前で泣いた。
怖いこと、不安なこと、閉じ込めていたはずの私の気持ちが溢れる。
その安心と温かさの一方で、私は新しい不安が生まれるのも感じていた。
私が彼の前で初めて泣いた時、私は確かに聞いたんだ。
私の中のダムがガラガラと音を立てて崩れるのを。
それがいわゆる、簡単に言えば、溜めに溜め込んだ我慢の溢れ出す瞬間だった。
だから、突然押し寄せた私の気持ちの荒波に彼がもまれてしまわないか、圧倒されてしまわないか、嫌われるのではないか、怖くてたまらなかった。
それでも彼は私を大切にしてくれ、不器用な私と一緒に歩いて転んで立ち上がらせてくれる。
時にはその優しさに胸が痛んで。
幼少期をやり直すと言ってみても、わがまま放題勝手放題やれる訳でもない。
20年かけて培った、理性が私をとどめるからだ。
そんな私は言い訳できないほどに中途半端で。
可愛らしくわがままを素直に言うこともできなければ、彼に迷惑をかけないよう黙っていることもできなくて。
電話をかけて「なんでもない」と言いながら「どうしたの?言ってごらん」と言われるのを待っていたり、発作を隠そうとしてみるけれど気づいてくれればと期待してしまったり…。
とにかく、うまくいかない。
私の頭は混乱状態だ。
彼も、私との付き合いが長くなり、だいたいの察しがつくようにはなったけれど、こんな風にもだえているなんて知らないだろう。
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