絶望で笑って。
愚か者
無機質な部屋で、彼はベッドの上で片足を立てて座り、その膝に肘をつけて、手の甲で小さな頬を支える。綺麗で、どこまでも冷たい瞳でじっと私を見ている。
「なんの用?」
表情に似合った、鋭く冷めた声が私を突き刺す
「...会いたかったの」
そう言えば、彼は鼻で笑う。
「会いたかった相手は、俺じゃないでしょ?」
「そんなこと...ない」
「嘘つくな」
「...私は、匡-キョウ-に会いにきたの」
そう言って、彼の延びた腕に、繕うように触れる。それに彼は微かに瞳を揺らした。
けれど、それは一瞬で、彼はすぐに馬鹿にしたような、冷たい笑みをこぼす。
「....兄貴に会えないからって、
兄貴に似た、俺に会いにきたって?」
「違うわ、そうじゃない、私は匡が...」
「俺が?俺が好きだって?
会いに来る程、俺を好きだって?」
そう言って、睨むように私を見つめる彼を、何も言わずに見つめ返す。
「ふざけんな、ふざけんなよ...
俺を裏切って、兄貴を選んだくせに」
「それは」
「なのに、兄貴が死んだからって、
今さら、俺のところに....」
「お願い、聞いてっ」
「俺は、お前なんか好きじゃない、大嫌いだ」
その声と共に、彼は私の手を勢いよく振り払い、彼は片手で顔を覆った。
振り払われた私は、その衝撃で近くにあったテーブルに、瞼上をぶつけたのか、ジクジクと痛む。けれど、それよりも胸が痛むのはどうしようもなかった。
いつの間にか、ポタポタと硬いフローリングに涙が落ちていた。
私は、力を振り絞って立ち上がる。
「ごめんね」
そう言って玄関へ向かおうとして、彼に腕を強く捕まれた。そのまま、私の体は彼に引かれ、ベッドに倒される。彼は私の両手首を押さえつけ、私に跨がるように覆い被さる。
「...どうして、お前が泣くんだよ
泣きたいのは、こっちだよ」
そう怒っているような、泣きそうな顔で言う彼は、長い指で私の目元を乱暴に拭う。
「ごめん、ごめんね、匡」
「...謝るな、謝ったって絶対許さねぇから」
「匡、ごめ」
最後まで言うことができなかったのは、彼が私の唇を彼の同じそれで、塞いだから。それは、どんどんと深くなる。
「...きょう?」
唇が離れて、彼の名を呼べば、彼は、"菜穂"と私の名を囁く。
「...俺のこと、好きって言えよ」
そう言って、私を見下ろす彼の目は、幼い子供が親にすがるような、そんなもので。命令口調な筈なのに、それは懇願しているように見えた。
「......」
何も言わない私に、彼は今にも泣きそうな顔で、私を強く睨みつける。
「言えよ、好きって、兄貴じゃなくて、
俺が好きって...頼むから...」
「......」
それでも、何も言わずに私は、ただ彼から目を反らすことしかできない。
そんな私に、彼は舌打ちをひとつ溢すと、私の首元へ顔を埋める。まるで、噛み付くように口付けをして、私の体を荒く貪る。
息つく間もない程の彼の行為は、私に彼の思いすべてをぶつけているようだった。
「匡っ、ちょっと...待っ」
「...待たないっ、お前なんか嫌いだ」
そう"嫌いだ"と何度も譫言のように言っては、私を啼かせる。
「きょぅ...きょうっ」
堪らず彼の名を呼べば、
「...なほっ」
彼もまた、私の名前を呼んでいて、その声は、身震いするほど、熱を持っていた。
意識を手放す、その時。
微かに聞こえた、"好きだ"なんて
きっと、聞き間違えだと言い聞かせた。
目を覚ませば、そこには氷の入った袋を、私の腫れた瞼上に乗せる彼がいた。
「......匡」
「...痛むか?」
「ううん、平気」
「...悪かった」
そう言って、私の手を氷袋へと持っていき、私に持たせると彼はベッドに背を預けるように、座った。
「...お前、もう来るな」
「.....いや」
そう言えば、彼は私の方へ振り向く。
「って言ったら、匡はどうする?」
そんな言葉に彼は、眉を寄せて、溜め息を吐く。
「....お前は最低な女だな
結局、兄貴まで裏切って...」
「...うん」
「好きでもない、俺に抱かれて
お前は、...何がしたいんだよ」
「...ごめんね」
「お前は、兄貴を俺に重ねて、求めてきても。
俺は、俺で。兄貴じゃない。
兄貴は、もうここには、いない....」
"俺を好きになれよ"
そう吐き捨てるように呟く、彼の背中は微かに震えていて。そんな彼の背中を抱き締めたくて、延ばすことのできない代わりに、ぎゅっと氷袋を強く握った。
そして、私は彼をキズつける。
「私が好きなのは、匠-タクミ-だよ」
「...やっぱり、お前は最低な女だよ」
そう言って、久しぶりに彼は笑った。その顔は匠に似ているようで、やっぱり似ていないと思った。
「早く、帰れよ」
彼のそんな言葉に
「わかってるよ」
そう言って、私も笑った。
『私が好きなのは、匠-タクミ-だよ』
その言葉の続きを、彼は一生、知らない。
「でも、愛してるのは、昔も今も、匡なんだ」
*end*