恋蛍~君の見ている風景~【恋蛍 side story】
「わざとだなって分かってます」


「へえ」


榎本さんは口元に微かな笑みを浮かべて、カメラと1万円札を受け取ると、


「どうぞ」


とドアを押し開いた。


覗くと中は真っ暗だった。


ただ、デジタル時計の数字が緑色に光っている以外、何も見えない。


「入った瞬間、襲うけど」


挑発的な目。


睨み返したあたしの腕を掴んで、榎本さんは中に引きずり込んだ。


抵抗はしなかった。


始めからそのつもりだった。


たぶん、あの瞬間から。


青山通りで出逢い頭に衝突した、あの瞬間から。


あたしはこうなることを予感していたのかもしれない。


ドアが閉まる。


「あの」


と同時にあたしの声は榎本さんの唇に塞がれた。


足元にはらりと空を切りながら1万円札が落ちる。


バッグを投げ出して首に腕を巻き付かせると、彼はそれに応えるようにカメラを側の台に置き、更に深いキスを返してきた。


室内は暗く、絵の具と不思議な薬品の匂いがした。


あたしのコートのボタンを器用に外しながら、榎本さんが囁く。


「ベッド、ソファ。どっちがいい?」


あたしは彼の上着を剥ぎ取りながら、首を横に振った。


「ここでいい」


「分かった」


< 41 / 223 >

この作品をシェア

pagetop