キミに恋の残業を命ずる

「すまない…飛行機に、乗り遅れてしまって」



お父様は荒い息を整えながら言った。



「もう式が始まる時間か?…申し訳ない…」

「いえ、まだです…!まだこれからですよ!」

「そうか…よかった…」



汗のにじんだ顔にほっとした表情をうかべると、お父様はなかば唖然としている裕彰さんに笑みをこぼした。



「ほぉ…なかなか様になっているじゃないか」

「…あ、ああ…」



裕彰さんは素っ気なくうなづいた。



「よく…来れたな。忙しいのに」

「当たり前だろ。…一人息子の晴れの日だからな」

「……」



無表情を装っている顔の裏で、裕彰さんがどんなにその言葉をうれしく感じているのか、わたしにはよくわかる。


うつむく裕彰さんを見て、お父様も込み上げてくるものをこらえるように床に視線をやった。そして、独り言のようにつぶやいた。



「見せたかったな、母さんにも…」

「……」

「俺が言える言葉じゃないが…でも、一緒にこうして見れたら、どんなにか幸せだったろうな…」

「……」

「おっとすまない。もう時間だろう?邪魔をして悪かった」



お父様が踵を返すと、



「…父さん」



裕彰さんが、小さな声で呼び止めた。





「ありがとう」





思わず振り向いたお父様に、裕彰さんは深々と頭を下げた。



「ありがとう、ここまで育ててくれて。今日から俺は、俺の足で自分の人生を歩んでいくよ」



亜海と一緒に。



そう言って引き寄せてきた手をぎゅっと握って、わたしもゆっくりと同じように深く頭を下げた。

込み上げてきた涙がこぼれないように、大きく息を吸って。



お父様は黙りこくった。

すべての悲しみも後悔も思慕も飲み込み溶かすような深く長い沈黙のあと、やっと一言「ああ」と言った。



「二人とも、幸せにな」










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