レンタル夫婦。
7章:初めての
***
――残り、16日

少し眠って起きたら、とは言ったけど、全然眠る気持ちになれなくて。
シャワーを浴びてただ横になっていた。
湊は泊まりで出かけようと言った。
それも含めての湊との会話や……その、キスのことを思い出してしまって、ついごろごろとベッドの上を転がる。
それを大分繰り返した頃に、少しだけ眠くなって目を閉じた。
疲れていたみたいで、深い微睡に落ちていく。

コンコン、とノックの音が聞こえた。
ハッとして顔をあげる。

「みひろさん、……入っていい?」

湊の声がして私は慌てて体を起こした。

「え、あ、はい……っちょっと、まって」

あわあわと上体を起こして髪を手櫛で直す。
それから急いで扉を開けにいくと、湊は柔らかく笑った。

「おはようみひろさん。……どう、もう起きれそう? もう少し寝る?」
「え、えっと……起きるよ。すぐ準備するから待ってて」
「うん、分かった。じゃあリビングにいるね」

そう言って湊は部屋から離れていく。
それを見送って急いで準備をした。


**
13時過ぎ。
湊と一緒にマンションを後にした。

「お腹すかない? 何か途中で食べてこっか」
「うん、そうだね……」

湊に問われるも、何だか朝のことが蘇って上手く顔を見れない。
ぎこちなく頷くと湊は少しだけ不思議そうな顔をしたけど、特に追及はされなかった。

電車に乗って、乗り換えの駅で降りる。
その駅前のデパートの中、レストラン街で食事をとることにした。
比較的空いていたイタリアンのレストランで遅めのランチを取る。
それからまた電車に乗って、この前よりも遠い場所まで行った。

着いたのは、もう16時を過ぎて、17時近かった。
そこは温泉街で、湊の話だと旅館を予約してくれたらしい。
ドキドキそわそわとしながら駅から出ていたバスに乗った。
駅前の賑やかさが遠ざかり、段々山奥へと向かっていく。
山を登って一番奥のバス停で、私たちはバスから降りた。
温泉の煙が立ち込め、独特の匂いが広がっている。

少しだけ歩いて旅館へ向かうと、仲居さんらしき人達が出迎えてくれた。

「佐伯さまですね」

そう言われて頷き荷物を渡す。
そのまま案内されて受付まで行き、湊がチェックインの手続きをするのを待った。
少しだけ古い、でも伝統がありそうな和風の旅館。
玄関の所には小さなお土産屋さんがあって、そこで売っている名産品などが気になってしまう。

「3階だって」

少しお土産を見ているとそう声を掛けられ湊の元へ行く。
スタッフのおじさんに荷物を運んでもらいながら、エレベーターに乗り、3階へと向かう。
そのまま部屋へと案内され、説明を一通り終えてその人は帰っていった。

改めて部屋を見渡す。
少し広めの和室。
真ん中に置かれたテーブルの上にはお茶菓子なんかが置いてあり、奥の方窓の側にはテーブルとイスが置いてある。
その横には扉があって、たぶんそこはお手洗いやお風呂だと思う。
和室にはテレビの横に床の間があり、そこには立派な掛け軸がかけてあった。
何となく部屋全体から高そうな雰囲気が漂ってきて、少しだけ不安になってしまう。

「湊……ここ、高くないの?」
「……いいんだよ、そういうのは心配しなくて」

湊はおかしそうに笑って荷物を隅の方に置く。

「ごはん、18時半だっけ。それまでお風呂行ってくる? ……貸切とかもあるけど」
「貸切も興味はあるけど……」

それって、湊と一緒に入るってこと? って考えると、流石にそれはどうかと思ってしまう。
お風呂の説明を書いた紙を手にして少しだけ考えた。

「湊は、貸切入りたいの?」
「いや、そういう訳じゃないよ」
「そう? なら普通のお風呂入ってこようよ。露天風呂もあるみたいだし」
「そうだね。じゃあ準備していこうか」

そういう会話をして、部屋に備え付けられた浴衣やタオルを持って二人一緒に部屋を後にする。
鍵は二つあったからそれぞれ一つずつ持って男風呂と女風呂に分かれた。
暖簾をくぐって脱衣場に行くと、それなりの人がちらほらと居た。
思ったほどは混んでいないのにホッとして、とりあえずロッカーに貴重品をしまった。
それからカゴの中に服を脱いで、髪をヘアゴムで束ねる。
髪の毛はご飯を食べ終えてから洗おうと決めて、小さいタオルと家から持参したスポンジ等を持って浴室へと足を踏み入れた。

扉を開けるとすぐに、白い湯気に出迎えられる。
洗い場を探していくと、三分の二ほど椅子が埋まっていた。
空いていた椅子の一つに腰を下ろして、シャワーを取る。
化粧を落とすのもご飯の後にしようと決めて、とりあえずスポンジで体を洗った。
洗い終えてから持ってきたものを隅の棚に置いてお風呂へと入る。
ちょっと熱めで、でもすごく気持ちが良い。
あんまり長く入る気はなくて、1分ぐらいでそこから出て露天風呂へと向かった。
外への扉を開けると冷たい風がひやりと体に触れる。
それに身震いして石造りの露天風呂へ行き、タオルがお湯に入らないよう注意しながら身を沈めた。

「ふー……」

思わずそう吐息が零れてしまうぐらいに気持ちが良い。
ぬるめのお湯も、顔に当たる少し冷たい風も。
ずっと入っていたいような錯覚に陥る。
景色もとても綺麗で、普段ならとても見られないような山奥の森林が私を癒してくれる。
少し赤く色付いた葉っぱや木々、そこに流れる川のようなもの。
そんなに自然がすき! って訳ではないのに、そこに流れる空気はすごく心地よかった。
先週のデートといい、湊は意外と自然が好きなのかもしれない。……あとで訊いてみようかな。


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