偽りの御曹司とマイペースな恋を



料理のレシピ検索以外でパソコンに向かうのはそれ以上に体力を使う。

目も痛い。肩もこる。憂鬱。

今日は遅くなりそうだから歩には冷蔵庫のもので適当に食べてくれとメールした。
目を離すと好きなモノしか食べない彼女に用意してやれないのは不本意だが仕方ない。
我慢の限界を迎えてキーボードを叩いていた手を止め深々と椅子に背を持たれた。

何時までこんな事をしているのだろう。もうそろそろ辞めたい。

「……爺さんはあれだけ客が来ても疲れた顔なんかしなかったな」

歩が爺さんの家に行こうなんて言ってくれるとは思わなくて。
そのせいかあの家のことを思いだす時間が増えた気がする。

広い土地。ぽつんと佇む家と爺さんが手作りしたというログハウス風の喫茶店。

あの頃は大変な事もあった気がするが素直に笑って、楽しくて。自由で。

いつの間にか笑みを作っている。そんな記憶しか思い出せない。



「どうですか社長サン。仕事には慣れてきた?」

そんな所へご機嫌な顔をしてやってくる男。手には差し入れらしい袋。

「瑞季。何を研究しているのか知らないが大学はそんなに楽しいのか?
早くお前がここに座れば俺はこんなことをしないで」
「歩とラブラブし放題?やだねそんなの。その席はお前がずっと座ってれば良いよ」
「……」
「冗談だって。適任者が何れ出てくるだろうからそれまで我慢してよ。ね。イツロ君」

これあげるとその袋を渡されて中を見るとアツアツのたこ焼き。
こんな夜中に食べられるかと文句を言いつつも付き返す事は無く机に置いた。
まだ仕事中でここは会社でスーツの瓜生と違い身軽な瑞季は実にラフな格好。

「何れか」
「叔母さんの甥っ子とか」
「まだ9歳だぞ。何年かかる」
「そうだけど。まあ、いいじゃん。おじさんも元気になってくれたんだし」
「誰でもいい。かわってほしい」

何度も言っているのに聞き入れられない瓜生の夢。
瓜生の夢は会社で地位を上げる事ではなく、こじんまりとした喫茶店を開く事。
その為の資金を得る為に働こうとは思っていたけれど。行き成りこんな大役。
期間限定で手伝うつもりだったのにいつの間にか養父は瓜生に仕事を押し付ける。
もしかしたらこの仕事に慣らせようとしているのかもしれないがそんなの冗談じゃない。

「でもそれだけおじさんは一路に期待してるわけじゃない?後継者として育てようって」
「あの人は天邪鬼だ。周りが指名した後継者をそのまま通すのが嫌なだけだ。
だから敢えて誰も支持しないだろう俺をここに座らせたがる」
「なるほどね」
「父さんの体の事を考えて俺もそれに乗ってきたがこんな不規則な生活になるならご免だ」

育ててもらった恩を感じていたのもある。
取引をして形だけとはいえ「息子」にしてくれた人だ。
でも思っていた以上にこの仕事は過酷で面倒でそして時間が無い。

「問題はそこなのね」
「料理の研究も練習もする時間がない。菜園にもいけない。野菜が心配だ」
「ほほう。歩は心配じゃないと。……よし!じゃあ飲みに行こうよ。
仕事はもうしないんだろ?パーッといこう!」
「は?」
「いいからいいから。行くぞ!」
「おい!」

かけてあったスーツの上着を勝手に取って部屋を出て行く瑞季。
ちゃんと血の繋がりがあるくせに上手い事逃げる瑞季に文句を言ってやろうと思ったのに。
渋々パソコンの電源を切り戸締りもして部屋を出る。

会社は既に暗く他には誰も居ない。
見回りの警備員と何度かすれ違ったが瑞季はすでに外へ出たのか見当たらなかった。

「お疲れで怖い顔が更に怖くなってる君に俺がお薦めのお店を紹介してやろう」
「その辺の店でいい。酒はあんまり好きじゃない」
「すげえ可愛い子がいてさ。マユミちゃんっていうんだけど」
「そういう店も女にも興味ない。1人で行け」
「大丈夫。お前にはナンバー2のサキちゃんを紹介してあげるから」
「だから」
「息抜きは必要だよイツロ君」
「部屋のカギ…!お前何時の間に」
「いいからいいから。この俺に全部任せろって」
「…お前、大学で何を勉強してるんだ」

自由奔放になりすぎじゃないか。そんな暇があるなら仕事を手伝え。
瓜生は散々怒ったが瑞季は全く聞いている様子は無く。
家のカギを盾に瓜生を店へと連れて行った。


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