グーグーダイエット
16:聞いてよラーメン
 午前中はとても心地の良い陽気だったと言うのに、午後になると急に雨がザアザアと降り続いた。こんな夜は、芯から温まる物を食べねば。さと子の頭の中には、もうメニューが出来上がっていた。

「あ~ちべたっ」
 玄関に入ると、真っ先に風呂場へ移動してバスタオルで体を拭く。今にも風呂に入りたいくらいだが、水は冷たい。まずはお湯を沸かさないといけない。風呂を洗う気力も無かったので、とりあえずは腹ごしらえをすることにした。
 なべに水を入れ、野菜や魚を入れると、隣に現れたなべ姉がさと子の体をぎゅっと抱きしめた。
「やっぱりこんな寒い日はお鍋よね~!」
「うん。でも、途中で変わられちゃうと、お鍋空っぽだな。上手く煮えてると良いんだけど……」
「それは大丈夫よ」
「何で?」
「グーグーダイエットはそう言うものだからっ! ふふっ!!」
 要するに、知らないと言うことか。なべ姉はしっかりしているようで適当な所も多い。さと子は呆れるとため息を付いた。
「でも私、シメにラーメンも食べたかったんだけどなぁ」
「あららぁ! おつなことするじゃない」
「え? 定番でしょ?」
「あら、女の子が一人でお鍋のシメにラーメン食べるなんてそんなに無いんじゃな~い?」
 確かに。何気ないツッコミであったが、直球で言えば、さと子は食い過ぎと言うこと。グサッと言葉のナイフが刺さった。
「やぁだ、違う違う。否定してないって。良く言うでしょ? いっぱい食べる君が好き! ってね。さと子ちゃん大好きよ~チュッ!!」
 また始まった。さと子はなべ姉を一旦剥がすと、立ちあがって風呂場の掃除を始めた。働かざる者食うべからず。今日もデスク業務を務めたが、自分にはダイエットと言う業務があることも忘れない。
「それにしても、さっちゃん本当に痩せたわねぇ。今何キロ?」
「今朝は確か66キロだったかなぁ」
「すっごい! それは綺麗にもなるわよねぇ。目も大きいし、顔のラインもすっきりしてきたし、着られる服の種類だって増えたでしょう?」
「うん。とは思っても、中々スカートとかは敷居が高いんだけどね……」
 さと子が言うと、にこやかな顔をしていたなべ姉が、急に真面目な顔つきになる。さと子の手を握り、顔を近づけられる。幾らオネェ口調の男でも、これはドキドキする。警戒と照れが混じるさと子は顎を引いた。
「さっちゃん、そろそろメイクしてみない?」
「え……?」
「今の貴方なら、アタシのメイクでもっと可愛くなれると思うんだけどな。駄目?」
 茫然としていたさと子だが、ハッと我に返ると、コクコクと頬を赤くして頷いた。
「ぜ、是非! メイクとかいっつも薄化粧で終わらせちゃうから、なべ姉にメイクしてもらえるならしてもらいたい……な」
 恥ずかしそうに言うさと子。そこはやはり女性である。その可愛らしさに、ついなべ姉も何時もの調子に戻ってさと子を抱きしめていた。
「だぁ、何をする!!」
 さと子がなべ姉を引っぱたく音は、部屋中に響いた。

 さと子が風呂から上がると、なべ姉はまずドライヤーでさと子の髪を乾かした。自分でやるからいいと言ったさと子だが、なべ姉曰く、乾かし方も大事らしい。そわそわする胸に手を当て、さと子はじっと鏡越しになべ姉を見る。
 髪を乾かし終えると、髪をピンで留めてメイクを開始する。すると必然的になべ姉の顔も近付くことになり、さと子はつい顔を逸らす。
「コラ、よそ見しない」
 顔を掴まれて正面に持ってかれてしまった。何時に無く真剣な顔つきは、女性的な格好をしているはずなのに、本来の男性らしさを感じさせる。
 ええい! どうにでもなれ!! さと子は顔を赤くしながらメイクが終わるのを待ち続けた。

「さっちゃん。さっちゃん……さと子!!」
 雄々しい声にさと子が驚いて目を開けると、目の前に映る人物に目を疑った。
「これが……私!?」
 鏡の前に立ち、前のめりになって鏡を見る。体型は如何にも自分だが、優しい色合いのメイク、ふんわりとウェーブを作られた髪はまるで普段の自分とは思えなかった。普段の自分より数段美人で、ぽっちゃり系モデルの雑誌に読者投稿しても申し分ない出来だった。
「後は服だけよ。さっちゃん途中で寝ちゃったから勝手に物色しちゃったけど、これとかどうかしら?」
 さと子の目の前で服を持って見せた。これは、さと子が60キロの頃に着ていたゴム製のワンピースだ。懐かしい服が出てきたものだ。
「でも、今着るには柄が派手じゃないかなぁ。腕も太いし」
「だったら、上は薄着のジャケットでちょっとだけ隠しちゃいましょ。ほら、こうして合わせてみると~」
 持っていた服をさと子の前まで持っていき、鏡を見させる。そこには可愛らしい今時の女性がいた。
「うん。完璧。アタシ限定のさっちゃんでも良いけど、やっぱ誰かに見せたいな」
「ええ、いいよ。何だか恥ずかしいし……」
「何言ってんの。こんなに可愛いさっちゃんを見せなくてどうするっての!!」
「そんなこと言っても、今雨ザーザーだし」
 なべ姉はカーテンを開けて外を見る。真っ暗な空から、叩きつけるような雨が降っている。これでは折角のメイクも落ちてしまう。
「それに、食べ物は今日はお鍋とラーメンだけって決めてたしなぁ。野菜も鍋の野菜で良いって思ってたから、他に買ってないんだもん」
「ありゃりゃ。こんな時に限って神様は会合だしねぇ~使えない老人だわぁ」
「神様って会合とかあるんだ?」
「ええ。多分適当にウン、ハイ、ヘェ~って言って聞き流してると思うけどね」
 なべ姉の言葉通り、脳内で他人の話を聞き流す神様が浮かんでくる。それが面白く、さと子はプッと吹きだした。
「仕方ないわねぇ。せめて写真には撮っておきましょうか」
「い、いいよぉ! 恥ずかしい!!」
「駄目。メイクはアタシの芸術なの。黙って撮られなさい!!」
「は、はい」
 扉の前に立たされたが、どうもしっくりこないらしい。さと子を玄関まで移動させると、一つ頷いてカメラを持ち上げる。シャッターを押そうとしたその時。
――ピンポーン
 玄関のチャイムが鳴った。さと子となべ姉が顔を見合わせる。セールスの勧誘か? チラっとドアスコープを覗いてみると、そこには達海がいた。
「!?」
 声に出すと居るとバレてしまうので、口元を手で押さえて必死に堪えた。さと子を横にやり、なべ姉が覗いてみると、「ははーん」と納得した。その後、玄関の扉を勝手に開ける。
「ギャアッ!!」
 さと子は慌てて扉の前に立つ。勝手に開いた扉に首を傾げたものの、達海にはそれ以上の衝撃が走った。
「お前……さと子、だよな?」
「あああ! いやぁ~ちょっとこれは知り合いにやられちゃってさぁ。ゴメンね、変なモノを」
「いや、見間違う程綺麗だが」
 妙に素直な達海に、さと子の顔は真っ赤になる。なべ姉はその様子をニヤニヤと見つめていた。
 顔が熱くなってまともに喋れるかどうか不安だったが、降り続く雨の音が耳に入ると、さと子は顔色を戻して達海に聞いた。
「こんな天気にわざわざ来るなんて、どうかしたの?」
「ああ。今日は会社の人との付き合いで居酒屋に行ってな。だが、この天気で酒の入った体で帰るのは厳しくて。出来れば、雨宿りさせて欲しいんだ」
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