ゆえん


「これ以上、ここではダメ。滝本君もわかるでしょ。ここに浩介が来たら、完全アウトだよ」


楓が滝本の目を見据えると、滝本は我に返ったように深く頭を下げた。


「すいません」

「ほら、野次馬君たちも帰ってちょうだい」


楓は周りの大学生たちにもそう言って席を立たせた。


「だらしねぇな」

「今度は俺で試さない? 彼女」


理紗の長い髪を引っ張る奴もいた。

その手首を掴んで理紗が睨む。


「じゃあ、わたしと試す?」


 間に割って入って楓が微笑みながら言った。


「え、まじで」

「ばっか、お前」

滝本の慌て振りを見て、学生は楓の顔を見た。

楓の綺麗な顔からゆっくりと微笑みが消えて瞳が冷やかに光る。


「この人、葉山浩介さんの奥さんだぞ」


滝本の真面目な顔を見て学生は、自分の手首から理紗の右手をそっと外して頭を下げた。


「済みませんでした。帰ります」


滝本が楓にもう一度深く頭を下げる。

様々なぼやきを零していきながら、他の大学生たちも店を出て行った。


「よっ、楓ちゃん、かっこいい!」


入り口近くのテーブルで、この様子を見ていた常連のサラリーマン二人が、楓に声を掛けた。

楓はゆっくりと微笑んだ。


「ごめんなさいね、騒がしくって。やっと静かになったから、ゆっくりしていってね」


楓は立ち上がり、頬を押さえ立っていた理紗の背中をポンッと叩いた。


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