Last present ~夢を繋いで~ ※Episode2&3追加5.30


「あれっ?
 君、藤宮学院の生徒さんだよね。

 確か……」



そう言って足を止めてくれた。



「大田さんでしたね。
 その節は有難うございました」

「怪我がなくて良かったよ。
 君もエレクトーン習ってるんだ」



そう言って大田さんの視線は、私の手元のテキストを見つめる。
私の手が大切そうに抱きしめているのは、初級編のエレクトーンテキスト。



ピアノだったら、ショパンの革命も、リストのラカンパネラも、
演奏できるようになったけど、エレクトーンはど素人。


だけどきっかけをくれた人の前で、こんな初心者のテキストを見られたくなくて
思わず片手で背中の後ろに隠すように慌てる。



するとそんな私の行動に、大田さんはクスクスと笑った。


ふて腐れたように頬を膨らませた私に、
彼はゆっくりと言葉を続ける。



「誰だって最初は初級コースからだよ。
 何時から習ってるの?」

「えっと……今週から。
 まだ一週間で、レッスンも二回目だから」


大田さんは再び私のテキストに視線を移す。


エレクトーンの初級編のテキストの上には、
パガニーニ大練習曲集の楽譜。



「君、ピアノは弾けるんだね。
 エレクトーンを始めたきっかけは俺?」



図星で思わず赤面してしまう顔。
だけど慌てて照れ隠しのように俯く。



もっと堂々としていたらいいのに。

ただあの人は、きっかけをくれただけで、
私の知らない世界をくれただけ。


なのに……どうして……。



「君、名前は?」

「えっ」

「だから君の名前。
 君は俺の名を知ってる。
 俺が知らないのは不公平だと思わないか?」



えっ?
不公平?



「美佳。亀山美佳【かめやまみか】よ。
 名前っ。

 教えても、多分すぐに忘れてしまうと思うけど」


そう……私の目の前にいる人は、
エレクトーン界では有名な人。


年は三年ほどしか変わらないのに、
向こうは有名人で、私はファンなったばかりの駆け出し。



教えたところで、覚えてくれてるはずのない名前。


早く去りましょう。
彼と私は住む世界が違うのだから。



「それじゃ、私失礼します」


一礼して彼の前を立ち去ろうとした時、
彼が私の腕をグっと掴んだ。


「亀山さんだったよね。
 悪いんだけど今から時間は?

 レッスンは何時から?」



目の前のその人は真剣な眼差しで、
私の方を真っ直ぐに見つめて問いかける。


「今日のレッスンは終わりました。
 初級クラスは早いから」

「だったら今から時間は?」

「ありますけど……」

「なら少し俺に付き合ってよ」




彼はそう言って私を教室の中にあるスタジオへと誘った。
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