意地悪上司に求愛されています。(原題 レア系女史の恋愛図鑑)

「それでは君が俺のことをしっかりと覚えるように……これから色々としなくてはいけないな」
「っ!」

 なんだ、なんだ、なんだ。この声は。思わず身体が震えてしまった。

 悪寒を感じる。間違いない、これは風邪だ。一刻も早く帰って寝なければ。
 拗らせてしまったら、出勤することができなくなる。

 明日も忙しいことが確定しているのに、こんなところで体調を崩すわけにはいかないだろう。
 私の身体は風邪菌に素直すぎる。急に力が入らなくなってしまった

 慌ててしまい、椅子に躓く。それを背後にいた木島は、私の腕を掴んで助けてくれた。

 スミマセン、とお礼ではなく謝罪をする。
 すると背後にいた木島は私を立たせたあと、フッと色気ある表情を浮かべた。

 しかし、そんな表情の裏には何かある。それはここまで生きてきた中で培われた知識だ。

 男という生き物は何か思うところがあると“所謂甘ったるい顔”というものを浮かべる生き物である。
 こんな堅物で仕事にしか興味がない私に対しても、今まで何度かこんな表情を向けてくる男に遭遇している。

 男という生き物は、ろくでもない生き物だ。
 こんな表情をしておいて女性の隙を突き、何か良からぬ事をしようとするのだから。

 成敗だ、こんな男。これは後輩女子たちにも通達しておかなければならないだろう。
 そんなことを頭の片隅で考えていると、木島はプッと噴き出し、私の背を優しく押した。

「牛丼屋は早く食べて、席を譲る。それがお約束なんだろう?」
「……」
「こんな所に突っ立っていては、他のお客さんの迷惑にならないか?」
「その通りよ!」

 フンと鼻であしらったあと、私は木島に「じゃ、お先に」と声をかけて店から出ようとした。だが、木島の方が一枚上手である。

「ちょっと待て。会計を人に押しつけて帰るつもりか?」
「……」
「大人としてのマナーがなっていないんじゃないか?」

 その通りだが、今は早くこの男から離れたい。
 私の気持ちは表情に出ていたのか。木島は楽しげに目を細める。

「駅まで一緒に行こう。菊池さんだって電車に乗って帰るだろう?」

 逃げるなよ、という言葉を含んだ彼の声は、どこか威圧的で逆らってはいけないと本能が叫んだのだった。
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