ドルチェ~悪戯な音色に魅せられて~
XYZ
花音の部屋から逃げるように飛び出してきた俺は、不甲斐なさと後悔でもう散々だった。
闇に包まれた地下室に光なんて差し込むわけもなく、部屋の真ん中に佇む黒い怪物に呑み込まれそうになる。
眼鏡を外して、ぼやけた視界の中でただそれを眺めた。

別に今さら辛いとか悲しいとか思わない。
鍵盤の上で自由に舞う指先はもう、とうの昔に失っていたから。



やがて忽然と真夜中の静寂にインターフォンが鳴り響く。
地上へ出ると一輪の花が待っていた。

「なんで、泣いてるの」

不思議そうに涙の痕を撫でて問うと、花音は俺を見つめながら何を言うか考えている。
こういうときの彼女は困ったことに、真っ直ぐで決して嘘を言わない。

「側にいても、いいですか?」

純粋で真剣で……、実は最初から、その目が苦手だった。
乞うような彼女に溜め息を吐くと、不安げに視線を泳がせる。

「いいの?」
「え?」
「この先に入ったら、……俺もう、お前のこと離せねぇよ」

なんか俺切ねぇな、なんて思いながら笑うと、花音の瞳からボロッと大粒の涙が溢れて。
ドンッと勢いよく胸の中に飛び込んできた。

「どうしたの?お前、素直だね」
「隼人さんも。……素直だね」
「真似すんな」

花音の言葉で言うと、寄り添う、だっけ。
強気な眼差しで警戒するのに、いつの間にかポンと隣に座っている人。
愛しいから、ぎゅっと抱き締めた。

「唐揚げまだ残ってますよ」
「ごめん」
「私がいないとダメかもなんでしょ?」
「うん」
「意地悪してもいいから、その分、教えてほしいです。隼人さんのこと」
「……やっぱりお前、面白い」

自分のことは誤魔化しているくせに、人のことになると顧みない。

アイコンタクトの心理トリックにはまったのか?
苦手なはずのに、その瞳に惹かれてた。

抱き締めたまま笑うと、もぞもぞと顔を上げる。
心外だとばかりに眉を寄せて睨む花音に、また笑みを溢すと口を尖らせて文句を言い始めた。

「泣いてるのかと思ったのに」
「……俺がぁ?」
「昂さんに少し聞きました」
「だろうね」
「私、隼人さんのこと何も知らないのに勝手なこと言ってごめんなさい」
「『私が思うだけ』だっけ?」
「え?」
「そのくせ的を射てるっていうか、核心にグサッとくるから恐ろしいよな」

そうして優しく笑うから、手離せなくなってしまう。

「……泣いてもいいですよ」
「なんで俺が泣くのよ」
「だって」
「泣きたいくらい落ち込んで、目の前が真っ暗になったのは初めて発症した時だけ」
「今は?」
「悔しいけど、もう割り切るしかねーし」
「……割り切れてないんでしょ?」
「えっ」
「最初から言ってくれればいいのに」

諦め切れないから、未だにしがみついていた。
せめて演奏する立場でいたくて、いつか誰かに、何か届けばいいな、なんて。
でもそんなの俺らしくないし。

「カッコ悪いじゃん」

「私も意地っ張りで強がりだけど、隼人さんも相当ですね」
「ハハッ。そうかもね」

何も知らないって言うくせに、よくわかってる。

そんな君がもっと欲しい。
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